chihirockmorita
踊るように 歌うように 日々の出来事を綴ります。
新しい拠点に引っ越して2週間がたった。 引っ越してみて起こったことや感じていることは以下の通りだ ・空間に余白ができてからだが窮屈でなくなり開放された。 ・物をおかないことで視覚的なノイズがへりストレスを感じなくなった。 ・静かな環境になって物事に集中して取り組めるようになった。夜もゆった り過ごせる。 ・生活をする部屋、仕事をする部屋、トレーニングをする部屋、制作をする部屋、寝たり休んだりするプライベート空間と機能を分けることで、ひとつひとつのことを集中して取り組める
5月8日、土用明けの一粒万倍日に動産屋さんとオーナーさんと、無事に契約を結びました。住まいを変えようと決めて1ヶ月もたたないうちに、あらゆることに導かれ、万事、順調にここまできました。 「うちの畑よっていく?」と誘っていただきオーナーさんの畑へ伺いました。そこにはオーナー夫婦の愛が注がれた豊かな畑と作物や花たちがありました。 「これもあれももってかえって!」とご好意で畑の野菜やら手作りの黒にんにくやら花をいただきました。こんなにgiftをもらっていいんだろうか...と申し
住みなれたアパートを引き払う手続きを行った。4月から家を探しはじめて素晴らしい物件に出会うことができた。 「通勤時間が短縮されて今よりも広くて住み心地がいい家」の条件に合う古い日本家屋の一軒家だ。5年前まで人が住んでいた家で丁寧にくらしを営んでおられた余韻のようなものが家に残っていた。 二階からは右手に日本三景の天橋立と宮津湾がみえる。神社が近くにあり水が綺麗で場がとても居心地がいい。 この家では人が集まり、ものやことが生まれる場にしたい。1階の1室に絵や音楽を楽しむア
「日記を書こう」荒川洋治さんの「日記をつける」を読んで日記を書いてみようと思う。これは若かった頃の私の回想日記である。 「山へいこう」しばらく会っていなかった大学時代の友達の思いつきで人生初のトレッキングへ行くことが決まった。場所は奈良県にある標高1600メートルを誇る大台ヶ原。僕はというと、アウトドアとは全く縁のない筋金入りのインドア派。大丈夫か? 「黒のインプレッサに乗って彼女はきた」近鉄奈良駅で待ち合わせをした。白いオールスターのスニーカーと古着のジーンズに、山の上
かつてエジプトの砂漠でギラギラとあやしく光る星をみたことがある。あれほど眩しく光る星をみることは後にも先にもあれが最後だろう。 学生時代、バックパックを背負ってよく海外旅行に行っていた。9.11の緊張感が抜けないエジプトのカイロの雑踏をひとりで歩いていた。11月のラマダン(断食)時期、日中は物を口にする者をみることはほとんどなかったが、夕方、アッラーへの祈りを終えた町の人々が大勢集まり、チキンとコシャリの伝統的な料理がふるまわれ祝祭的なムードだった。 カイロ滞在も数日が
兵庫県北部と鳥取県の県境に雄大にそびえる標高1510mの「氷ノ山」という山がある。山陰地方では大山につぐ高峰である。標高800m以上の山腹には天然記念物のイヌワシやツキノワグマが生息する。豪雪地帯に位置するため雪深さは凄まじい。 2月末の明け方、5時。車内の寒さに目が覚めた。ぼんやりとした青白く薄暗い空が目の前にひろがる。世界が動きだす前の一瞬の静寂。寝袋にくるまりその情景をうっとりと眺めていた。オレンジ色の光がその青白い空に混ざった。青とオレンジの混ざったあわいの時間。
3月上旬の夜明け前。-5℃の車内で目を覚ました。車のフロントガラスは、吐いた息の水分によって内側からバリバリに凍っていた。昨夜の寒さをしのぐためにのんだバーボンが無造作に助手席に転がっている。車のエンジンをかけ、暖房をいれてしばらく寝袋にくるまったままぼんやりとしていると、山の端の青白い光が一瞬にして黄金色に輝き、雪をかぶった大山が眩しく光った。 蒜山SAから車を走らせ30分ほどで大山北側の大きな駐車場についた。冬山登山の装備を身につけ、売店へ行き食料を調達した。貧相に