砂漠に光る星
かつてエジプトの砂漠でギラギラとあやしく光る星をみたことがある。あれほど眩しく光る星をみることは後にも先にもあれが最後だろう。
学生時代、バックパックを背負ってよく海外旅行に行っていた。9.11の緊張感が抜けないエジプトのカイロの雑踏をひとりで歩いていた。11月のラマダン(断食)時期、日中は物を口にする者をみることはほとんどなかったが、夕方、アッラーへの祈りを終えた町の人々が大勢集まり、チキンとコシャリの伝統的な料理がふるまわれ祝祭的なムードだった。
カイロ滞在も数日が過ぎ、ギザのピラミッド、エジプト考古学博物館など主要なところは訪れて、今日は何をしようかと、昼過ぎ、あてもなく散歩をしていた。その時、「SAHARA TOUR」という素敵な看板が目に飛び込んできた。「SAHARA…あのサハラ砂漠!?マジ!?」砂漠のロマンにすっかり有頂天になったオレは意気揚々と店に入り、説明もほとんど聞かず金を払ってツアーに申し込んだ。「今からすぐ行くぞ!」と言われ、なーんも考えずに「OK!」と答えジープに乗り込んだ。この後、とんでもない事態になることなど想像もせず、遠ざかるカイロの街を眺め呑気に鼻歌を歌った。
ジープにはオランダ人のファミリーも乗っていた。同じツアーに参加する人たちだ。「where are you from?」「I am from japan」など、一通りの世間話をした後は、ジープから見える砂漠の圧倒的な風景に見惚れていた。1時間以上、移動しただろうか。11月とはいえ、気温は高く日差しも強かった。薄着ていたシャツを脱ぎ、薄手のカットソー1枚になった。砂漠の風は心地がよかった。夕暮れ前、ジープはゆったりととまり、砂漠の大地に足をつけた。視界を遮るものは何もなく、砂の山と空とが果てしなく続いた。履いていたサンダルを脱ぐと熱が足から伝わってくる。砂は熱の吸収がダイレクトなんだろう。ジープから離れ息を切らし砂漠を走った。大きな砂の山を見上げた。太陽が傾き日が暮れようとしていた。当時、使っていた愛用のcanonのフィルムカメラのシャッターを切る。「カシャ」っと音がして、その瞬間の風景や空気までもフィルムに焼き付け記録した。
ジープに戻るとオランダ人ファミリーはタープをはって食事の準備を始めていた。運転をしていたガイドの若い男も火を焚き始めていた。「what is doing?」嫌な予感がして、思わず若いガイドの男に話しかけた。「ここでお前たちは一泊するんだろ?お前、食料あんのか?」と聞かれた。散歩の途中でツアーに参加したため、小さなショルダーバックの中にあるのはバナナ1本と500mLの水とシャツと小型のカメラのみ。「『食料あんのか?』ってみたら分かるだろう…」と思いつつも状況を受け入れ切れず頭が真っ白になり「I have a banana」と答えるのが精一杯だった。ガイドは「仕方がないやつだな」という顔をして「バナナ焼いてやるから食え!」とバナナを火で炙り、オレに手渡した。
調理を終え、あったかいスープをのむオランダ人のファミリーを横目に、オレはモサモサと焼きバナナを食べた。とろっとして甘く、バナナ1本がたまらなくうまかった。想定外の砂漠で過ごす夜。食料も寝袋も毛布もないけど、ガイドがいるしなんとかなるだろう。若い男のガイドにいれてもらったハイビスカスティーを飲んで心を落ち着かせ、落ちていく夕陽を眺めていた。しかし、想定外はさらに続くのだった。
日が暮れて、あたりがうす暗くなると急激に気温は低くなった。「明日の朝、また迎えにくる」とガイドはそそくさと荷物をまとめてジープに乗ってカイロへ戻っていった。呆気にとられしばらく呆然とその場に立ち尽くすことしかできなかった。頭は真っ白。夜がふけていく。気温はさらに低くなり寒さに体が震える。砂漠の夜は冷えるとどこかで聞いたことがある。「あれ?何これ?」「ガイドがテントを用意してくれるんじゃないの?」「どどどど…どうやってひとりで砂漠で一泊するの!?」パニックになり頭の中はうるさかったが言葉が全くでなかった。砂漠に座り込むと、昼間の熱はなかったかのように砂はしんねりと冷え切っていた。体を震わせ夜空を眺めた。満点の星空が頭上にあった。1時間か2時間か…時間の感覚すら分からなくなった。夜はたっぷりふけてくる。闇がこの世界をすっぽりと覆い、頭上の星以外にはほとんど何も見えなくなった。砂漠の夜の砂は容赦なく体温を奪っていく。幼い頃の記憶が走馬灯のように夜空を走った。観念して「Excuse me…」とタープを貼っていたオランダ人のファミリーに近づきタープの中に入らせてほしいとお願いをした。
タープの中は毛布が敷いてあり、外よりはいくらかマシであった。オランダ人ファミリーは寝袋にくるまって眠っていたが、寝袋など当然ないので、体を震わせながら横になった。少し安心したのかトロトロと深い眠りに落ちた。何か夢をみたような気がするし、何の夢もみなかったような気もする…妙な感覚の眠りだった。
鉛のように重くなった体の異変に気づき眠りから覚めた。体温はすっかり砂に奪われ、冷え切った体の感覚は麻痺しほとんど動かすことができない。呼吸ができず息苦しい。実際に眠ったのは2〜3時間くらいだろうか。目を開けると辺りはまだ闇の中だった。何を思ったのか、感覚のない体をもぞもぞと芋虫のように動かし顔をタープから出して夜空を眺めた。「星が光っている…」体はほとんど動かすことはできないかわりに、頭だけは異様に動いていた。目を見開くと爛々と眩しく星があやしく光る。今にして思うと、ほんの数秒のことだろうが、その時は長い時間、星を見つめていたような気がした。青白い星の光が強烈に瞬き、その光は徐々に大きくなった。しばらくするとその光はすぐ目の前まで迫ってきて、ほとんど呼吸をすることができなくなった。「そうか、これが死か。オレはここで死ぬんだな」感情が動くということはなく、目の前に迫った「死」に妙に納得をしていた。その青白い眩しい光に争うことはできず、圧倒的な力で体をつつみ始めていた。その瞬間、東から鋭い別の光が闇を切り裂いた。オレンジ色の暖かな光が顔に触れた。生きているのか死んでいるのかも分からず、そのまま意識を失った。
目が覚めるとすっかり夜はあけ、暖かな太陽の光が体を優しく包んでいた。タープはなく、ガイドの若い男がそこにいた。呼吸ができるようになり、少しずつ頭が働き出した。その瞬間、強烈な頭痛と吐き気、体の痛みに襲われ、ほとんど立つことができなかった。あちらの世界にいった魂が戻ってきたのだろうか。その痛みは生命の叫びであった。「生きてる…」ただその事実に頭が納得し、再び、意識を失った。
気がつくとジープに乗せらせオアシスのある街を走っていた。観光地をジープで巡る最中だったが、頭痛と吐き気がひどく、車の揺れに吐き気をもよおしながらシートに倒れ込み半日が過ぎた。瀕死の状態で「頼むから帰してくれ」と言い宿まで送ってもらった。若いガイドの男が「申し訳なかった。その気持ちの証にオレの家に招きたいから今夜、ここにきてくれ」と言ったのを、ふらふらになりながら「YES」と答え、温かい布団に包まれて泥のように眠った。
夕方、目を覚まし、何とか起き上がれる程度には回復をした。ガイドから招待されていたのを思い出し、気はあまり進まなかったのだが「これも若いうちの社会経験だ」と言い聞かせ訪問をした。布製のテントのような大きな部屋に案内され、羊の料理を振る舞われた。ガイドはずいぶん距離をとり、オレが料理を食べるのをじっと眺めていた。居心地が悪くなり、料理を食べ終わり感謝の意を伝え帰ろうとした。その時、ガイドが言った言葉に唖然とした。「お前のために羊を1頭買ってきた。余った分は家族で食べてよいか?」と聞かれ、妙な話だと思っていたら羊1頭分のお金を請求された。日本円にして1万円ほどだった。羊を食べたといっても1口程度…大半を家族が食べてしかも金まで請求されることに、またまた頭が真っ白になったが、すぐに怒りの感情が湧いて「ふざけんな」と文句を言ってやった。
結局、「カルチャーが違うんだな…」と諦め、高い勉強代と自分を納得させ、苦笑いをして足を引きずり宿まで帰った。「静かな街に行こう」そう思ってカイロの街を出ることを決めた。翌日、荷物をまとめ、北の地中海のある街「アレキサンドリア」を目指したのだった。