おっちゃん、メジロになる
2024.08.27
父の住む実家へ子どもたちと行く。わたしの妹とその子どもたちも来ていて、ぽくぽくした空間になった。
接近している台風10号のことを気にかけながら、思い思いに話す。話題は旅行やおでかけ、とにかく暑かった、落雷の音に恐怖した、などなど今年の夏を凝縮した話題となった。
まだ夏は終っていないのに、なんとなく振り返りムードである。でもあながち間違いでもなく、きっとこの台風が終わったらしばらく暑さが続いて鼻先をかすめるような秋が来て、すぐに冬、年末で「もう今年が終わるのか」となる。年々このスパンが短く、そして早くなっている。
「小さい秋みつけた」という歌詞の曲が小さい頃大好きだった。どこか物悲しくて感傷に浸れる曲だったが、ここ近年の調子だともはやイントロしか聴けなさそうだ。
ところで、実家での集まりの際にはケーキなどやや気合の入ったデザートやお菓子が持ち込まれることが多く、たいていは妹がその役目を担ってくれるが、今回はわたしの子どもたちの風邪が長引いてなかなか顔を出せなかったため、久しぶりにわたしが買っていこうとなった。
そこで反射的に選んだのが31アイスのバラエティパック、しかもスモールサイズだった。
父が作ってくれたカレーとホルモン焼き、サラダ、フルーツを豪快に胃におさめ、小ぶりなアイスクリームをちまちまと小鳥のようについばんで満足。
独身での帰省から、Uターンし子どもが産まれ、そしてケーキからアイスへ。またさらに次なるフェーズへ到達した気持ちになった。
帰り際、玄関口で父が「これさ!」と指さしたのは鉢植えの木。そこには鳥の巣があった。「これはメジロが巣ば作ったとさ。絶対におっちゃんばい!」
そう、おっちゃんとは、父が幼少期から近所に住んでいたおじちゃんのことで、父にとっては兄貴分のような存在だった人だ。おそらく60歳にもならぬうちに、真冬の佐々川でウナギ獲りの最中に亡くなった。
祖母たちの彼氏でもあり、わたしたちにとっては優しくて楽しいおっちゃんだった。彼が住む四畳半の部屋の壁はびっしりとメジロの籠で埋め尽くされており、幼い頃それを目にしたわたしは「ひょっとして社会的にグレーな人かもしれない」と直感したものだ。
昨年の暮れに墓参りをしたあと、なんと父の家の庭木にメジロが巣を作った。
ある日、半年ぶりに家族のグループLINEがピコンと鳴り、父から「今年初めてわが家に、メジロが巣を作りました。ツバメは軒下などに天敵から守ってもらうために作るそうです」と来た。
突然、教育番組のナレーションのようになってしまった父の口調に笑いつつも、「おっちゃんの墓参りにいったからかしら」と返信したら思いのほか喜んでくれて、「そうか~おっちゃんが、逢いに来たかもね」と微笑んでいた(のが、文字越しでも伝わった)。
またね、と言って解散。車を走らせる道中、子どもたちは後部座席で姪っ子の可愛さについて小声で照れくさそうに語ったあと、兄弟同士でダンス対決に励み、「しゅうちゅうりょくとかわいさ」でポイントを競いあっていた。