大坂なおみ選手の会見拒否から、表現の自由を考える
大坂なおみ選手の会見ボイコットについて言及しておこうと思う。というか今の思考を何年後かに振り返ってみたときどうなってんだろうなというメモ書き程度で。
メディアに言論・表現・出版の自由があるように、選手個人にもその自由はあって当然だ。表現の自由は民主的社会の本質的基礎である。試合後のメディア義務(会見義務?)が大会ルールであるならば仕方ないけど、このようにメンタルケアを取り入れた会見ルール改正を検討してもよい。彼女の言葉を聞きたいのは分かるし、質問を投げかけるのはジャーナリストとしての仕事だもんね。でもそれは彼女にとって良質な問いでなければ、ただの苦痛な時間になる。イチロー選手の引退会見を思い出すと試合後に90分も会見して、最後は「お腹減ってきちゃった」なんてセリフもあった。イチロー選手はプロ中のプロフェッショナルなのでクソ質問を一蹴する術を身につけている。報道記者との関係性もこの記事を読むとよく分かる。
先に表現の自由と書いたが、今はSNSで本当の気持ちを良くも悪くも表現できる時代になった。彼女がTwitterで会見しないことを呟いたのは若さゆえの行動ととれるし、もう少し伝え方があったのではないかと思う。大会には金銭的な事情もあるので選手個人の主張を真に受けては運営できない。負け試合のあとの会見に彼女は言及していたけど、不快な質問を投げかけるジャーナリストについて言えば、その人の人間性になるので線引が難しい。テニスに限らず涙ながらの会見はたくさん見てきた。悪質な質問かはさておき、そこには私達が想像もできない敗者の悔しさや苦しみがあるのだと思う。そのストーリーを想像したり感情移入するからファンも涙し感動するのである。2010年バンクーバーオリンピックのフィギュアスケートでライバル、キム・ヨナと死闘を繰り広げた浅田真央選手の涙の会見は本当に泣けた。
試合が終わったあとのインタビューはどうあるべきか?今回の騒動で個人的に思うことは、質問の自由をどこまで許せるか。例えば、ふざけた質問に対して答える必要がないと選手が判断するのであれば答えなくてもいいと思う。悪質な質問と判断した場合は退場してもらうことも考慮すべきだ。質問の質が問われるインタビュアーにとって読み手(私たち視聴者)が何を聞きたいのか考えるのは普通だけど、特に試合後はインタビューする側とされる側に健全なコミュニケーションが必要になる。たぶん自分なりの原稿ができ上がっていて、バズる質問を投げかけたいのだろう。記事内容の構成もあるからだと思うけど意思疎通を大事にしてほしい。もう一つは、そもそも敗者に対してのインタビューが必要なのかということに関して言えば、答えはイエスだ。もちろん細かい分析やファクトとしての記録という面もあるし、テニス界にとって発展するためでもある。
以前も人権問題をマスクでアピールして話題になったけど、彼女のコメントは社会的影響力があるからどのメディアもファンも期待するのは当然だ。しかし名言を残すのはグランドスラムやオリンピックの会見ではなく日常であるべきだ。つまり日々の発言や行動がその人となりになる。彼女はアスリートである前にひとりの人間なのだ。大会のルールであるならば罰金がどうこう言うつもりはないけど、どこか異端児を受け入れない同調圧力に多様性のなさを感じる。私たちは彼女のテニスと思想を見たいのであって、同じような質問に返答する彼女を見たいわけではない。取材する側とされる側に相違があり過ぎると成立しないということだ。コミュニケーション上の気遣いとは一方通行であってはならない。お互いフェアな話し合いを持つ場を提供していけば、きっと良い方向へ改善されるだろう。
うつ病と診断されたことを公表した背景は分からないけど、障害を抱えたままプレーを続けるのはメンタル的にかなり苦しいことだったと思う。これを単に「メンタルが弱い」と一括にしてはいけない。この問題は彼女だけではなくアスリート全体、いや、全ての人間に値することだ。プレッシャーからの解放とメンタルヘルス問題はメディアも運営組織もサポートと支援が必要だし、今思えば周りからの期待(トップアスリートとしての重圧や今度はどんな政治的発言をするのか)が重荷になっていたのかなと、あの愛くるしい笑顔を最近見ていない気がする。とにかく今は休んで、また、あのキュートなNAOMI節を聞ける日がくることを願う。
最後に、表現の自由が人間社会を発展させてきたと同時に破壊する力も持ち合わせている。生きづらさを感じる人は大多数意見に阻まれ孤立するものだ。しかしどうだろう、妄想がエンターテイメントを創り、理不尽な人種差別に声をあげれば平和な世界を想像できる。可能性を遮るのはいつも人間がつくりあげた常識という名の価値観だ。人間が人間らしくあるために人権は守られなければならない。表現の自由はその一つなのだ。