
天才の発想術
「仕事場を住居から独立させてからは、例えばネコの蚤取りといった空白の時間は無くなりました。新宿のスタジオへ入ると同時に、条件反射みたいに仕事を始めます。何しろ、何人ものアシスタント諸君が手を開けて待っていますから。夜半帰宅。家内と1時間ばかりの語らい。もっとも会話の大半は家内によります。ベッドで明日のアイディアを練る。練り終わらないうちに寝る。」
1977年、毎日新聞社の「二人で少年漫画ばかり描いてきた」という記事で、藤子・F不二雄先生がこうおっしゃっています。
先日、突然駆られた
「あの、舞台に立ちたい。」
という衝動。
私はでしゃばりだから、素晴らしいアートに触れると、心の奥にどこか、
それを”鑑賞する一人”ではなく、
”その舞台を使って自らの表現する一人”になりたがっている自分がいます。
そんな衝動が抑えきれず、天才の頭の中を探る旅に、出てみることにしました。
===
♪みてみてよ ほら はなやくさきが
おはようのあいさつ しているよ
だからみんなで スキップふんで
ラララ ランラ ラララ ランラ
うたをうたおう
ぼくたちちきゅうじん
おおきなうちゅうの ちいさなほしに
えがおがいっぱい ゆめのくに
てとてをつないで つくろうよ
歌:堀江美都子
作詞:みなもと たかし
作曲:菊池俊輔
===
名古屋のはずれの、比較的三重にほど近い場所で育った少女は、
アイドルやミスチルを聴いている友人を横目に、ダウンタウンの番組に出ていた松山千春さんの歌声に酔い、月9や少女漫画の話題で盛り上がる輪にいながら一人ドラえもん映画に想いを馳せていました。
ぱっと見は、普通の大して目立つわけでもない子供だったと思います。
あ、ちょっと言いすぎたかな。もし「十分根暗オーラが出ていたぞ」という人がいれば言ってもらいたいですが、
それでも、間違いなく言えることは、
暗くはなかったけど、あまり目立つことに積極的ではなかったし、それを望んでもいませんでした。
それに、今思うとですが、
友達とおしゃべりするのは嫌いではなかったけど、
どこか孤独も選択するような子供で、
ブランコと自転車に乗っている時間を好みました。
色々妄想に耽るには、もっとも都合が良かったのだと思います。
だからって、ダウンタウングッズや、ドラえもんコレクションをしていた訳ではなく、なんならその類のものはほとんど持っていなくて、
欲しいと思ったこともなかったのは今まで一貫して変わりません。
ただ、グッズという物は一切持ちませんでしたが、
それでも、私の頭と心の中には、それらの絵や動いている映像と共に、音や色、香りを含め、手触りが、いっぱいいっぱいいっぱい”発想の種”として仕舞い込まれています。
それは、大人になった今でも、たまにこっそり扉を開けて、引き出してくることがあります。
===
毎日毎日ブログを書いて、5年と1ヶ月ほどが経ちました。
合計1875日です。
ここで、先に継続力が変態なのは見て取れますが、
実際にやっていて多くいただくお声としては、
「よくネタがありますね。」
というもの。
これって、私の感覚ですが、
昔は、
”ネタ”を探しに行っていたんです。
あ、物理的にではなくて思考的に。
でも、最近は、
”ネタ”を引き出しから出してきているんです。
もちろん、思考的に。
この違いは結構大きくて、
何か目の前に出された、そうだな”石ころ”でも、
その石ころと言う題材で描くネタを、ちひろ書庫みたいなところから、
今みたいな検索機みたいなテクノロジーみたいなやつはないですからね、
アナログなので、ボヤボヤ想像して、あぁでもないこうでもないって、自問自答して、弾き出して、
しかも、一つではなく、二つも三つも
ネタを取り出してきます。
そして、その目の前のモノと、引っ張り出したネタたちと、時には、情報を補足したり、ちょっと粘土みたいに、形を変えたり、加筆減筆したりして、
様相整えて、
2000字にまとめるんです。
要は、額縁に入れる…というか。
ちなみに私の書いている文章は、あえてジャンルで言えば、
ノンフィクションのエッセイだと思いますが、
たまにフィクションめいた文章が顔を出すのは、
ノンフィクションと言う日常の中に、私の頭の中の理想や、願望や、希望的妄想が入ってくるからだと思います。
そういう意味では、それらのわちゃわちゃを、人生の中で手っ取り早く、でも、ヒリヒリ感という生きた心地を感じながらも人生で実現していける舞台の一つが、
”ビジネス”
なのかもしれません。
「「継続力」なんですね。『ドラえもん』も何度か最終回に持って行こうとしたんですが、運もあって今まで来ちゃった。それが結局はばの広がりになって、10年くらいして映画の『大長編ドラえもん』が公開された。」
ー1994年/文藝春秋臨時増刊コミック'94春号にてー
===
♪きいてごらんよ かわのせせらぎ
とりたちとおしゃべり しているよ
だからみんなで くちぶえならし
ピピピ ピッピ ピピピ ピッピ
おはなししよう
ぼくたちちきゅうじん
きょうもあしたも あさっても
みどりがいっぱい ゆめのまち
ちからをあわせて つくろうよ
歌:堀江美都子
作詞:みなもと たかし
作曲:菊池俊輔
===
「「6時ごろ目覚めて七時半まで案の続き。朝食。犬の散歩。娘三人、小学校と幼稚園へ。僕、九時過ぎ家をでる。途中、二か所で案の続き。何しろ頭が悪いので、十時半から十一時スタジオ着。仕事…。若干の波があっても、ほぼ同じ状況の繰り返しです。昨日も、一昨日も、一ヶ月前も、一年前も、いや、昭和29年夏の上京の日以来、今日までが僕の意識の中では、ノッペラボーのひとつながりです。」
ブログの冒頭で転記した「二人で少年漫画ばかり描いてきた」の記事の続きです。
天才のルーティン。多くの天才は、ルーティンが決まっていると言いますが、まさに藤子・F先生もそうだったようです。
ちなみに私は、天才ではありませんが、
ルーティンの鬼ではあると思っています。
だから、”天才候補生”ってことで、とりあえず予選挑戦中…くらいにノミネートしてもいいでしょうか?
まぁ私のことはさておき、
”ドラえもん”はじめ、”作品”は数知れず触れている天才・藤子・F先生の言葉に触れ、
その発想術を読み解くことで、自らの表現したいものへの勉強になりまくって、
今は温泉にでも入ったような深部の温まり具合です。
「一ファンではなく、あの、舞台に立ちたい。」
私のあくなき夢。
いや、この夢を持たせてくれたのさえ、
藤子F先生が源泉。あ、ダウンタウンもね。
ドラえもんとダウンタウンの時代に
生まれた奇跡を、これほどにないくらい幸せだなって思います。
というわけで、そろそろ眠くなってきたので、今日はこの辺にしたいと思います。
続きは、またいつか。
本日は、「昨日あたりから頭がバグっていて、まだ落ち着かないので、文章がまとまりません。諦めています。」ってお話でした。
学び:いや、私の頭がバグっているのは、今に始まった話ではない。いやもしくは、ただの花粉症かも知れない。
おしまい
chihiro