90歳のおとうさん
ジムからの帰り道、今日も頑張ったなぁと思いながらスキップしそうな嬉々揚々とした気分で家の前まで戻ってきた。時刻は20時40分。
いつもと違うスーパーに寄ろうとしたとき、普段見かけないような両手に杖をついたおじいさんが一生懸命に歩いている。
遠くからよくよく見てみると、首からは大きくて大変重そうな荷物をぶら下げている。
「こんな遅い時間に一人で大丈夫かな・・」
一度はスーパーに行こうとした足を止めて、おじいさんをそっと見守った。
そしてその直後、おじいさんはバイク屋さんの縁側にペタンと腰を下ろしてしまって、めっきり歩こうとしなくなった。
お節介の虫がじっとしてられなくなり、気づいたら声をかけていた。
「おとうさん、荷物持ちましょうか」
おとうさんは「えーー。大丈夫・・」と言ったが、「(申し訳ないから)大丈夫」だと受け取った私は食い下がって、
「おうち近くですか?こんなに重たいの大変でしょう。ひとまずこれ取って」
とおとうさんの首から荷物を引き取ると、なんとその重いこと、きっと2リットルのペットボトル3本くらいの重さはある。
「重っ!!おとうさん、これ無理です!私が持ちますんで」
と言うと、おとうさんは「自分が飲む酒だから、こんなの人様に持ってもらうわけにいかねーんだ」と言って笑っている。
聞くと家まで600mほどある。ひとりよりかは幾分一緒の方がマシだろう。
ジムに行って気分がよかったこともある、おとうさんに付き合うことにする。
話ながらおとうさんの昔の仕事の話、宮大工だったおとうさんは明治神宮や京都御所の建築に携わったことや、ご近所の方とどこそこに行っただの、どこそこの誰が亡くなっただの、そんなたわいもない話を永遠としながらひたすら家を目指した。
「こんなにお酒買っていっておうちの人に怒られない?」なんて、またお節介なことを聞くと、「もう少し(で死ぬん)だから我慢しろって言ってんだ」とまた冗談をかましてくる。
これだけ話せてこれだけお酒が飲めるなら、まだ大丈夫だ。
聞くところによると御歳90歳という。80歳くらいかと思って声をかけたのだから、東京で暮らす人はとっても若い。
歩いても歩いても家に着きそうな気配はなく、夜も深まりおとうさんは何度も「ここで大丈夫、もう少し早く歩けたらいいんだけども」とこちらを気遣った。
しかし声をかけてしまった以上、ここでおとうさんを一人で帰すわけにもいかない、という謎の使命感などもあり、おとうさんを家まで見届けることは決めていた。
ようやく家に着いたとき、やっぱりおうちの人は心配していた。
「おとうさん、電話持ってない?おうちの人心配すると思うから、電話した方が・・」と言ったのだが、「電話なんてしたって出ねーんだ、電話の意味がないんだ」と言って電話をしなかった。だから言ったのに!
おうちの人は何度も「すみません、もう・・」と言いながら、おとうさんは何度も「ありがとう」と繰り返した。
時刻は22時30分を過ぎていた。
おとうさんの家から私の家まで、自分の足なら7,8分というところだった。
健康で元気に歩ける有り難さを痛感した。
田舎では皆助け合って生活しているだろうけど、大都会では誰がどこに住んでいるのか、人との関わりは希薄である。
自分が健康で人のために何かできることがあるならば、自分の限られた時間と可能な労力の中で、手助けできることがあればいいなと思う。
ただのお節介かもしれないことは、重々承知なんだけども。
おとうさん、今度お見かけしたときには荷物だけ先に家に届けておきますね。