芦沢央『貘の耳たぶ』(#読書の秋2022 参加)【ヤマシタのおたより#46】
芦沢央さんの小説「貘の耳たぶ」を読んだ。
芦沢さんには、読むたびに唸らされているけれど、今回も例外ではなかった。
衝撃というか、読み進めれば読み進めるほどに、自分の考えや感情があふれてくる、この感覚にやみつきになった。
何度、「あれ??私、育児経験者やったっけ」と思ったか分からない。
一体感が、あった。
インスタグラムで、ネタバレしないことを前提に #ヤマシタの読書感想 と題した投稿を始めてからしばらく経つが、はじめて、「多少のネタバレがあってもいいから、がっつり書きたい」と思ったので、ここに筆を執ることにした。
そう、つまり、ここの文章では多少のネタバレがある。
なので、まだ読んでいなくて、絶対ネタバレは避けたいという方は、回れ右…
というのも少し悲しいので、下に私のインスタグラムの投稿URLを貼っておきます。ぜひこちらを読んでください。ネタバレを回避してふわりと書いていますので。
さて。では本題。
以下、私の #ヤマシタの本気の読書感想 です。
まずは、あらすじを。
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自ら産んだ子を「取り替え」た、繭子。
発覚におびえながらも、息子・航太への愛情が深まる。
一方、郁絵は「取り替えられた」子と知らず、息子・璃空を愛情深く育ててきた。
それぞれの子が四歳を過ぎたころ、「取り違え」が発覚。
元に戻すことを拒む郁絵、沈黙を続ける繭子、そして一心に「母」を慕う幼子たち。切なすぎる「事件」の、慟哭の結末は…。
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(文庫本背あらすじより)
対照的な二人の母親像、そのどちらの気持ちも分かる自分に驚いた
まず読んでいて驚いたのは、私が繭子の気持ちも郁絵の気持ちも分かったこと。
私は、独身で育児経験がない。
大学生のころにスイミングコーチの仕事をしていて、0歳~の子どもに携わってはいたし、保育士資格も持っているけれど、いわゆる母親業に関しては素人。
ましてや、子どもを産むときのプレッシャーや高揚感は、まったく経験したことがない。
なのに。
繭子の気持ちも、郁絵の気持ちも、痛いほど分かってしまう。
そのことに、とにかく、驚いた。
なんで、こんなに、分かるのだろうか、と。
しかも、事細かに分かってしまう。
私が役者をしているから、感情を理解するのが得意?
いや、それだけじゃない。これこそが、芦沢さんの表現のすごいところなのだ。
この本の構成は、第一章が繭子目線。
出産後、だんだんと大きくなる不安とプレッシャーから、顔なじみで同じ日に出産した郁絵の子ども(璃空)と自分の子(航太)を、取り替えてしまうところから話が始まる。
そして、子どもが4歳になり、あるきっかけで「新生児取り違え事件」として問題が明るみに出てしまい、繭子が崩れ落ちるところで幕を閉じる。
第二章は、「取り替えられた」側の郁絵目線。
どうして子どもの取り違えが発覚したか、その経緯が綴られていく。
この、二人の母親。
対照的なはずのに、二人の気持ちそれぞれが、痛いくらいに、自分のことのように、分かるのだ。
繭子の心配をし、味方になっていた第一章
私は、第一章では、かなり繭子の味方をしていた。
繭子は、自身の生い立ちも手伝って、子育てに自信を持てない。
助産師に、漠然と「母親になったら分かるものよ」と言われても、その「本能で感じ取る」自信がない。子どもの微かな変化を、見逃さない自信がない。
何か変わったことがあったら教えてと言われても、何が変わった状態なのかが分からない。
長引く陣痛に心が折れ、帝王切開を「選んだ」私。
眠れないからと処方された薬を飲み、授乳もままならないほど深く眠ってしまった私。
授乳もうまくできず、不安ばかりが募る私。
そこに追い打ちのようにかぶさる、同じ日に出産した、年下の郁絵の存在。
郁絵は、悪い人では決してない。
でも、産後起き上がれないほどの貧血になりながらも、数十時間に及ぶ陣痛に耐え、自然分娩で出産した自負にあふれている。
保育士という経験もあってか、産後すぐ順風満帆な育児を見せている。
パイロットで国内にいないことも多く、出産にも立ち会えなかった自分の夫と違い、郁絵の旦那さんはいつだって、彼女に寄り添っている。
看護師さんからも、褒められている。
郁絵は、そんな人。
ああ、なんて私はダメなんだろう…
この子も、郁絵に育ててもらった方がいいのかもしれない。
郁絵だったら、郁絵だったら、郁絵だったら…
こんな思いがあるアクシデントと重なり、新生児室で、子どもを交換してしまうのだ。
(この物語にひとつ引っかかることがあるとすれば、産院のセキュリティ。新生児室って母親が自由に出入りできるものなんだ…と不安になった。
新生児室に入れるのはスタッフだけで、お世話をするのは別室だと思っていた。)
その後も、繭子には不安が常に付きまとう。
航太が成長するに連れ、いつか自分から離れてしまうかもしれないという不安はもちろん、子育てに対してもほっとする暇はない。
イヤイヤ期に入った航太とうまく向き合えない自分に対する不安、そして「郁絵だったらもっと上手に育てられるんじゃないか」という不安。
郁絵も少々無神経というか、保育士のわりに思慮が足りない部分があり、繭子の不安を増幅させる。
出産直後もそうだったが、検診で会っても「旦那さんは?」と悪気なく訊いてしまう。
仕事が休めない夫を責めることもできずに、不安ななか一人で耐えている繭子にとっては、なかなか堪える一言だ。
そして、言動の端々に、どこかマウンティングを感じさせるものがある。
本人はそんなつもりないのだろうけど。
だからこの章で、私は
分かるわ繭子…そりゃ不安が募るわ。心配になるわ。
郁絵も、悪い人じゃないねんけどな、ちょっとデリカシーないよな。
正直、うっとうしいタイプやわ。
と思っていた。
いるよな、こういう人…
と、ちょっと冷めた目で見ていたのも事実だ。
節分の時期に、夫に鬼役をしてもらって、子どもが恐怖心で大号泣しているのに、カメラのシャッターを切り続ける郁絵に覚えた繭子の違和感も、よく分かる。
私も、SNSで、大泣きしている子どもの動画をあげている人を見るたびに、正直「ん?」と思っているからだ。
その前に何があったか分からないから偉そうには言えないけど…
何かを訴えかけて泣いている子どもは、頼りたいママが目の前で笑ってスマホを自分に向けていたら、どう感じるか…と、考えてしまう。
危ない行動をしていたり悪戯をしている様子を堂々と撮って載せるのも、しかり。
ママが笑って撮影していたら子どもは悪いことだと認識できないし、それで怒られても、意味が分からないと思う。
後で文章やイラストにして記録するのは、いいと思うけど。
とにかく、私自身、繭子に対する心配がつきなかったのだ。
ちょっと考えすぎかなと思う節はあったけれど。
でも初めての子育てだし、周りの声に必要以上に反応してしまったり考え込んでしまったりするのは、仕方ないなと思った。
旦那さんがちょっと頼りないことも、心配になる一因だった。
楽観的というか、分かってないというか。
出産に立ち会うかの話になっても「仕事休めるかなあ」と顔をしかめる。
パイロットだから仕方ないかもしれないけど、第一声はそれじゃないでしょう。
挙句の果てに、おふくろに頼む?と、言ってのける。
それを繭子がためらうと「おふくろは気にしないよ」と言う。
いや、気にするのは、繭子なんだってば。分かってないな。
ごめんな、とか、本当は一緒にいてやりたい、とか、言えないのかな。
私のイライラが、募るばかり。
その一方で、子どもは可愛いからと、SNSに何の相談もなしに子どもの顔を載せている。
繭子はSNSにアップすることを嫌がるが、何がダメなのか、さっぱり分かっていない。(彼女には「取り違えがばれてしまう」というヒヤヒヤもある)
私は思った。
小学生にするようなSNSの注意を、せなあかんのか…?
絶対嫌や、こんな人!
あと結局、航太を手放してしまうのも、なんだかなあ…と。
仕事を辞めます、くらいの気概がほしかった。
なかったなあ…。
一応、繭子の夫サイドをフォローすると、夫の母、つまり繭子の義母はいい人。
(本人ではないけれど)
少なくとも私にはそう思った。
温かみがあって、嫌みがない。
出産直後、帝王切開を選んだことに自責の念があった繭子の心をそっと解くシーンもあった。
出産直後に勝手に義父母を連れてくる夫の神経は疑ったが、そこにいるのが彼女で良かったな、と強く思った。
繭子の味方をしていた私はどこ?郁絵への支持が止まらない第二章
続く第二章。
些細な出来事を機に、夫から「璃空は本当に自分の子か」と疑われDNA検査を受けることになった郁絵。
その判定は、まさかの「自分も夫も、子どもと血がつながっていない」というもの。信じられない思いを抱えながら、産院に連絡し、改めて検査を受けることにする。
そして、再び「自分も夫も、子どもと血がつながっていない」という事実を突きつけられる夫妻。
ここからの、郁絵の苦悩はすさまじいものがあった。
第一、夫に疑われるだけでも相当な心労があるはず。
「数年前、同僚が郁絵と知らない男をホテル街で見た」
これだけで、本当に自分の子かどうかを疑う夫。
実際は、たしかにそんな通りを通った(気まずかった)ものの、相手は高校時代の友人で、子育ての相談に乗っていただけ。
元カレではあるけれど、現在そんな気持ちは全然なくて、初めはメールだけだった。でも彼の奥さんがいよいよ深刻に悩みだし、メールだときちんとしたアドバイスができないと思い、会うことになっただけなのだ。
その説明をする間にも、夫はまるで取り調べのような質問を投げかけ、ちょっとした矛盾にも厳しく追及する。
そんな状態で、自身の潔白を示すために受けたDNA検査。
なのに、今まで愛してきた子どもが自分の実の子ではないと言われる。
産院に問い合わせ、再度検査を受けるも、結果は同じ。
「取り違え事件」だということが判明する。
何が何だかわからないはずだ。
しかも、自分の心が追いついていないのに、「交換すべきかどうか」の議論が始まり、結論まで出ようとしている。
この章を読んでいるときの私は、郁絵への支持率10000000%。
繭子は本当になんてことをしてくれたんだ、郁絵は何にも悪くないのに、と静かな怒りが私を支配する。
さらに郁恵を追い詰めるのが、子どもと離れ離れになるかもしれないと思ってからの後悔。
なんで自分の子どもを預けて、他人の子どもの世話(=保育士の仕事)をしていたんだろう。
なんで、もっともっと子どもに全力で向き合わなかったんだろう。
なんで、なんで、なんで。
忙しい日々のなかで子どもをあしらってしまうことなんて、よくあると思う。(私は子育て経験はないけれど、24時間365日子どもと全力で向き合っていたらとてつもなく疲れるし家事もできないし無理なことは分かる)
郁絵は、悪くないのに。
世間に明るみに出ると子どものプライバシーも危ういから、まわりには何でもないふりをするしんどさ。
夫との時間が、子どもの交換について話す時間になってしまう重苦しさ。
目の前の我が子を、失うという恐怖。
初めて会った「本当の子」に対して、「似てる」と咄嗟に思ってしまう本能的な感覚への拒否感。
何を思っても、何を考えても、何を感じてもつらい。
郁絵に対する共感と支持が、どんどんどんどん上がっていった。
そして自分が怖くなった。
「あれ?私、さっきまで繭子の味方をしていなかった?」
ああ、視点が変われば、こんなに感情移入の仕方が変わるのか、と。
価値観の傾倒には、本当に気を付けないとと、物語の外で自分に言い聞かせた。
郁絵目線の章が後半だったこともあってか、全体的な私の支持は郁絵に傾いている。
だって、やっぱり、何も知らずに育ててきた郁絵のショックと後悔は計り知れないからだ。
ここでいう、郁恵の後悔とは「血のつながらない子に愛を注いだ後悔」ではない。
「何も知らず、こんな日々がずっと続くと思って過ごしてきた日々に対する後悔」だ。
繭子は、分かっていたし、望んでいた。
「いつかこの日が終わること」を、知っていた。
いま育てている子と、ずっと一緒にはいられない。
いましか、ない。
そんな思いを持ち、専業主婦として子どもとずっと一緒に過ごしてきた繭子。
対して郁絵は、何の事情も知らず、保育士の仕事をしながら日中は保育園に子どもを預けて暮らしてきた。
この違いは、想像を絶する。
ちなみに、繭子が新生児室で航太と璃空を交換したという事実は、子どもを交換する1か月ほど前、両祖父母を交えての顔合わせまで暴かれない。
ただただ、産院の取り違え事件として、郁絵は苦悩を強いられる。
旨を締め付けられる、子どもたちの戸惑いと健気さ
物語の後半。
交換することを前提として、互いの家でのお泊りを経験することになった子どもたちの戸惑いにも、胸を締め付けられる。
でも子どもたちには、事実は告げられないままだ。
その理由は、今はまだ理解が追いつかないから。
そして、元の家族・今の家族という二つの選択肢を、子どもに知らせるのは酷だから。
「頭ごなしに、こうだと決めるのが、優しいときもある」とは郁恵の夫の考え。
私は、たしかになあ…と郁恵の夫の賢さに膝を打った。
長い目で見た大人の意見としては、きっと正しい。
でも訳も分からずに知らない人の家へ泊りに行かされる子どもの気持ちを考えたら…本当に申し訳なくなった。
この交換お泊り会は、航太と璃空の性格の違いもあって、それぞれの我慢や疑問が顕著に表れる。
子どもの健気さは、どうしてこうも苦しくなるのだろうか。
個人的には、航太と璃空が実在の子ども達に重なったことも大きい。
スイミングコーチ時代に、航太と璃空を彷彿とさせる子どもを受け持ったことがあるのだ。
だから子ども達の泣き顔や笑顔、我慢している顔や声が、ありありと浮かんくる。彼らを思うと、たまらなくなった。
郁絵の心のうちを思って感じた苛立ち
取り違いが発覚してからの日々には、郁絵の葛藤がよく顕れている。
保育士としての感覚も手伝って、本当に「子どもに何も言わない」ことがいいことなのか、迷う。
客観的に考えた懸念と、「交換などしたくない」という自分の気持ち。
この二つが、彼女に大きな葛藤をもたらす。
それでも、璃空を繭子夫妻に送り出し、航太を迎え入れようと工夫する郁絵だが、物語の終盤、彼女はあることに気づく。
この気づきと後悔。
保育士だからこその、自分へのがっかりと璃空に対する申し訳なさ。
それは、ある意味絶望に近かったのではないかと思う。
描写はなかったけれど、この期間、繭子はどんな気持ちで過ごしていたんだろう、と考えた。
そして自分が抱いた感想が、あまりに意地悪で、驚いた。
そして、自分が感じたこの言葉の数々が、真実が明らかになってからの郁絵→繭子に対する感情描写で出てきて、またハッとした。
とことん、私は郁絵目線になっていたのだ。
ナチュラルに想像できてしまった、夫婦喧嘩
自分の心変わりに驚きつつ、苦笑いをするライトな場面もあった。
それは、自分の想像力の豊かさに。
さっき少し書いたが、この話は、旦那さんとの関係性も肝になる。
特に繭子夫妻の、子育てに関係する会話パートで私はふと、こんな想像をしてしまった。ナチュラルに。
子育てをしていて、こんなやりとり/喧嘩をするんだろうな、と。
なんてリアル。
しかも、なぜか自分ができて旦那さんができない前提だし、どうやら相手は関西人らしい。
我ながら、ちょっと笑ってしまった。
そして、こんなふうになる人を、私は好きにならないな、とも思った。
でもこれくらい、物語を超えて自分の想像をしてしまうくらい、本に入ってしまったのだ。
芦沢さん、恐るべし、である。
私と真逆の意見でもいい。いろんな感想を読んでみたい。
こんな形での読書感想文なんて、中学生以来なので、締め方を忘れてしまった。
ただ、この本はかなり女性目線ではあるけれど、ぜひ男性にも読んでほしいと思った。
子どもの有無や、これから持つ予定の有無に関わらず。
きっと、自分の意見や感想が、どんどん出てくるから。
もしかしたら、読んでから「あれ、山下は何を言ってたんだ?」とまったく別の気持ちになるかもしれない。
それでもいい。
男女問わず、皆さんの感想を、ぜひ知りたい。
完
P.S. なんで二人とも、男の子だったんだろう。どちらかが女の子だったら、子を取り替えるという繭子の背中を押さずにいられたのに…
※画像引用:公式サイト
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