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写真で残す意義

  先日、祖父がこの世を去りました。前に少し話をした林業家の祖父です。
 最後に会ったのは正月、施設で面会した時です。認知症が進んで私や母の事も誰か分からないようでしたが、面会中はずっとニコニコとしていました。「ありがとう」と繰り返し、「今がちょうどよか」とも話していて幸せそうな顔をしていました。
 それからしばらくして、インフルエンザにかかり、肺炎へ進行。息を引き取りました。
 
 お通夜の日、私は三枚の写真を持っていきました。一枚は最後に会った時に撮った写真です。認知症の影響で目の焦点が若干合っておらず、施設の部屋で撮ったのでやや暗かったり、フィルムカメラだったりしたせいで少しぶれてしまっている写真。それでも笑顔は撮れていて悪くないなと感じる写真でした。
 あと二枚はまだ認知症になる前、先に亡くなった祖母もいた頃に撮った写真です。キリっとした顔で写る祖父の写真。祖母と二人、前の一枚より少し穏やかに写る写真。
 その三枚を葬儀場の玄関に飾ってもらいました。ほかにも節目節目で行った旅行のアルバム、趣味の釣りで大物を抱える祖父。祖母との結婚式の写真。沢山の写真が飾られていました。
 そこにそっと飾ってもらった時、親戚が皆集まってきて懐かしそうに眺めては思い出話を始めたのです。その時にぽつりと聞こえたのが「撮ってあってよかった」という一言でした。その一言をきっかけに皆「綺麗に写ってる」「写真があってよかった」といった話を始めたのです。
 すると場が少しなごんで、思い出話も若干明るい話題になりました。

 写真を撮っていて良かったと、心の底から想った瞬間でした。

 今も上手く言えませんが写真として残す意義だとか、写真の本質のようなものを感じた瞬間だったように思います。

 本当に家族写真は撮っておいたほうが良いですよ。

祖父本人の写真はちょっと出せないので家の一角を
柱や壁、床の木材はすべて祖父が切り出したもの
お気に入りだった椅子と窓辺の席
家の縁側
カーテンの上、大きな板が祖父の自慢だった。
大木から削り出した継ぎ目のない一枚板で写真に写っている倍以上の長さがある。
伐採も大変だったらしく、その分自慢の仕事だったようだ。


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