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写真の撮り方、考え方は十人十色で良い(地平線をのぞむ 第12回)

 こんにちは、地平線です。最近の記事で写真論のようなものを書きがちだなと思っていました。そんな中で前回の地平線をのぞむ(第11回)で頂いたコメントになんというか「はっ!」とさせて頂いたのです。しかし、お返事では長くなりますし、自分自身でも整理したかったので、いっそのこと記事にしてしまおうと考えて書くことにしました。
 前回の地平線をのぞむはこちらから


まずはご紹介から

コメントして頂いた方 とても素敵なお写真と文を書かれています。改めてコメントありがとうございます。

今回のテーマであるコメントを引用させて頂きます。

こんな見方はできませんか。文章を必要としない写真。文章に添える写真。文章を必要とする写真。因みに私は、写真は光で描く絵だと思って楽しんでいます。

地平線をのぞむ 第11回へのRabi Sato様のコメント

更にプロフィール文にも大変共感しました。

写真が好きな老人です。・・・写真は、光で描く絵だと思っています。何を撮るか、どう撮るか、どう読み取るかは、人それぞれ・・・。私を含めて皆さんが,一枚一枚に想いを込め、撮影した写真を、味わいたい、楽しみたい。

Rabi Sato様のプロフィールから

 この記事を書くにあたり引用を許可して頂き誠にありがとうございます。

「はっ」とした訳

 何歩も先を進まれているなと感じたのです。私の記事もしかり、写真論とでもいうべき記事や書籍がnoteを含め世間には溢れているように思います。しかし、Rabi Sato様(以下勝手ながらRabi様とさせて頂きます。)はそうしたものに振り回されていない。なんというか自然体だなと感じたのです。
 それはお写真にも表れていて個人的な感想ですが素朴で暖かいと感じました。安心感と言えば良いのでしょうか。そんな雰囲気を感じられる素敵なお写真を撮られています。可愛い猫ちゃんのお写真も。
 あまりの可愛さに対抗心のようなものが湧いたので我が家の「モモ」の写真をぺたり。

我が家のモモ
中々写真を撮らせてくれないので若い頃の一枚
カメラには頭突きをしてきます。

 雑種犬で保健所から引き取ったモモ、無茶苦茶賢い子です。近所の人気者で吠えたり噛んだりしない良い子でもあります。あと野菜が大好き。お気に入りは大根でとなりの畑で採れた新鮮なものを丸かじりするのがお好きなよう。そんな贅沢のせいでかなりのグルメ舌。
 と愛犬自慢はここまでとして話を戻します。
 前回の地平線をのぞむでは写真はアートなのか?記録なのか?をテーマに書かせて頂きました。その件に対してRabi様から頂いたコメントが先ほどのものになります。文章と写真の関係性という観点からの見方は一時期テーマにしていたことがあり、忘れていた視点を思い出せました。なにより「光で描く絵」という考え方がとても素敵だと思ったのです。
 このコメントから人によって様々な視点、考え方があることを改めて実感しました。更に言えばそれらは時間や経験と共に変化していることにも気づいたのです。当たり前なのに意外と忘れがちなことですよね。
 そして影響し合いながら変化、成長してゆくのが人間の在り方なのかも知れないと思うのです。

写真論の在り方とは

 ここからは上記のことを考えていた時にふと考えたことを書くことにしました。
 それは写真論についてです。先程も書いた通り写真論的記事や書籍が多くありますし、私もいくつか書いてきました。しかしそれに振り回されてはいけないなと、あるいは書く側として振り回すような記事を書いてはいけないなと自戒の意味も込めて考えたのです。
 Rabi様のプロフィールを読んで写真の撮り方は十人十色で良いのだと思いました。そうあるべきとまで言えるかも知れません。みんなが同じような写真を撮っていたらつまらないと思うのです。
 そして、その個性を制限するような写真論を唱えたくないなという考えに至りました。
 写真に限らず誰かの意見に触れると人は少なからず影響を受けるでしょう。それは成長の糧となるかも知れませんが、良い影響ばかりでは無いと思います。だから誰かの言葉、あるいは私の言葉で個性を失ってほしくないと強く思いました。
 逆に私がRabi様から、そして日頃拝見する様々な方の記事から受けるようなポジティブな影響を与えることができる記事を書きたいと思うのです。

写真論を書くにあたって

 何かを論じる時、どうしても強い言葉を使いがちな気がします。私自身の過去記事にもその傾向が見えました。
 しかし、芸術に関して正解はないですし先ほど書いた通り十人十色が良いと思うようになったのです。だから押しつけにならないようにしなければと考え、反省もしました。
 一枚の写真でも多種多様な見方、考え方があったほうが面白いと思うのです。なのでそれを狭めてしまうような書き方はしないようにしたいと思いました。
 一つの作品に対して作者も様々な想いをのせるでしょうし、鑑賞する人もそれぞれ違った感想を持つでしょう。その多層的、多角的な繋がりが作品をより良いものへと進化させていく気がするのです。

写真論の読み方

 ただ意見や感想を頂くこと、様々な考え方を知ることが良い勉強になるのも事実。そこで私なりの写真論読書術のようなものを考えてみました。

1.強い言葉はクッションを挟んで 

 強い言葉でも良いことを書かれている方は目にしてきました。そうした時、過剰に受け止めずに柔らかく心のクッションを挟んで受け止めることで良い吸収の仕方ができると考えます。

2.芯を大切に

 作品制作の芯を持つことも大切かなと考えました。ここだけは譲れない。写真を撮る理由のような、曖昧でも良いのでそんな部分を持っておくと個性を守りつつ読み解いていけると考えました。
 Rabi様の「光で描く絵」というのも一つの芯にあたるのではないかと推察しております。
 私の場合はまだ迷いの中で、少しずつ見えてきているような、そんな状況です。言語化まではまだまだかかりそうですね。言語化のために記事を書いている節もあるのかな。

3.正論ならネガティブをポジティブに

 学生時代、教授から作品に対して厳しい指摘を頂いたこともありました。一見ネガティブな出来事ですが私はポジティブに捉えています。というのも教授の言うことは基本的に正論でした。2番の芯にあたる部分に関してはバトりましたが、その他で正論を言われた時は作品をより良く出来るきっかけだとポジティブに受け入れてみると作品が改善できたのです。
 なので人の意見を聞くときは素直さとポジティブシンキングで向き合うと良い方向へ進めるのかなと考えました。

4.本当に嫌なら無視

 とは言っても本当に考えが合わない時はあるでしょう。そんな時は無視するのが一番です。無理して人に合わせると写真を撮る意味を見失うと私は考えています。幸い文章は追いかけてきませんから合わない記事は読まないに限りますし、対面で言われても受け流しましょう。親しい仲なら議論するのも有りではありますが喧嘩にはならないでくださいね!
 ポジティブに受け入れられないなら離れる。芸術において個性を守るにはそれが一番良いと私は考えました。

5.この記事だって一意見

 最終的には一意見として受け止めるといいでしょう。この記事だって私が考えた一意見です。それに完璧に伝わると思っていません。書いている本人がまとめきれていないので当然ではあります。
 良いなと思って頂けたところはつまみ食いしてもらって、合わないなと思ったことは無視して頂いて構いません。

まとめ

 最終的には「自分自身で考え続けること」この一言にたどり着くのでしょう。なんというか私自身も答えにたどり着けていない話題を選んでしまったなと思っています。
 結果としてこの長さと散文感満載の記事になってしまいました。もう少し上手にまとめられるようになってから再挑戦したい話題です。
 Rabi様におかれましては分かりずらい記事となってしまいましたことお許しください。改めてコメントして頂いたこと、そして引用をお許し頂き誠にありがとうございました。
 そしてここまでお読みくださった皆様にも感謝を。お付き合い頂きありがとうございました。今後もご意見、ご感想をお待ちしております。

2024年9月
地平線

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TANOSHIKA 地平線
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