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夏は幻、春は永

夏を想う。八月を想う。

夏が過ぎ、秋が来た。振り返れば夏、本当に自分がそこで生きていたのかと不思議になる。それほどまでに、私は夏を神格化してしまっているらしい。春も夏も秋も冬も、生きるということ自体、息を吸って生活するということは変わらないのに。それすらも信じられなくなるくらい、私は夏を盲目に愛している。

普通に生きていたはずの夏、その期間の記憶や想い出が神隠しにあっているような、そんな気がする。前の記事にも書いた通り、私が本当に好きなのは概念的な夏、イデアとしての夏だ。多分、絵に描いたような鮮烈な夏に憧れてしまっているだけ。

やっぱり、夏は幻だと思う。夏はしっかりとそこに存在していたはずなのに、少し遠ざかればすぐ信じられなくなってしまうほどに儚い。カメラの日付の7/29を疑ってしまうように、夏は夏であるというだけで、夏のフィルターがかけられてしまっているように思う。あまりに鮮やかで青い、それだけで手の届かない青春の1ピースになってしまうような、無条件に輝くフィルター。

それに比べて、春は永遠だと思う。長い長い冬を抜けて巡り着いた春は、きっととこしえのものだ。そう思わせるような光が、春の高架下には降り注いでいる。

夏はまぼろし、春はとこしえ。そんな記事を秋に出す私は、過ぎ去った夏を思い出せない。確かに記憶に残っているはずなのに、薄れゆく夏の想い出。きっと次の夏が来るまで、私は夏のイデアに囚われ続けるのだろう。


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