この世に産み落とされた環境が100点満点だった私
親父は長男
母親も長女
そんで私は長男
両家にとって初孫
地主のじいちゃんと
金貸しのじいちゃん
物心つく前から欲しいモノは手に入る状況
物心ついたら悪知恵を付けて欲しくないモノまで手に入れる
そんな子供
将来絶対いい大人になれない!
小学校では4月1日生まれの穏健を最大限に受けて
遊ぶ時はいるいらんじゃんけんまでいつも残り、じゃんけんに勝ったチームに必要とされず負けたチームがババを引いたかのテンションで迎えてくれる。
勿論なんの戦力にもなれず近くで観戦してた記憶がある。
欲しいモノが何でも手に入る勘違いは小学校2年生で手に入らないと分かり
お金で買えないものがある事を初めて知る
そんなバカ息子を構成さそうと父親と母親が必死になって勉強を教えるが鉄拳制裁にビビるだけで勉強の楽しさ分からず、学校が休みの時はじいちゃんとばぁちゃんの家に避難
私は逃れて嬉しい、じいちゃんばぁちゃんは孫が泊まりに来てくれて嬉しい
ウインウインの関係でおちびの頃からのぬるま湯の心地よさがますますバカ息子にしていく。
中学校になると小学校で仲の良かった友人が何故かいじめてくる始末
バカ息子は中学生にもなって泣く
当時何が楽しかったのか分からないがとりあえず学校には行き、それなりに生活し、高校受験前に勉強せず出来もしないバスケットを放課後学校でやってた所を担任に見つかり願書を破られる。
母親と謝りに行き、願書を書き直してもらい何とか高校へ
高校も何が楽しかったのか分からないけど中学校の時に流行ってた椅子引きで痛めた尾骨骨折の影響で腰痛に悩み小学校5年生から続けてた野球を辞める。
辞めると言うか逃げる。
この事がキッカケでますます逃げ癖がつくようになる。
進学も消去法で残った専門学校に行く。
合格通知が同級生400人の中で1番早かったと卒業式の2日後にあった担任主催の飲み会で知る。
そこから大阪でスポーツトレーナー、香川で柔道整復師、神戸で鍼灸師の専門学校を渡り
10代より20代の方が明らかに勉強が楽しくなる。
最終的に主席になったが、クラスメイトは7人
働きながらの勤勉が、とても楽しいモノだったので学校を卒業した後も様々な勉強をする。
節目のタイミングがいつもぼやけ気味で
嫁さんへのプロポーズはどれがプロポーズなのか覚えておらず
婚姻届は泥酔で訂正印のオンパレード
妊娠の報告を嫁がした時も見ず知らずの人が妊娠したぐらいのリアクションしか出来ず
その他の節目も振り返るとお酒で迷惑をかける事多々
そんなバカ息子も更生させてくれるありがたい方々が多数現れる。
その引きはかなり強いみたい。
心折れそうな時に救ってくれた友人
礼儀を教えてくれたパイセン
あった日にビビっときたらしい嫁さん
何でも相談にのってくれる夫妻
noteを教えてくれたPさま
皆さまのおかけで毎日楽しく生きてます。
子供の頃からあった「何でも手に入れる」は形を変えてきており、「お金で手に入らないもの」もいっぱい手に入れる事ができてきており今後の人生がますます楽しみな39歳、厄年手前、自称エセ自由人