隠れSNS疲れ

はじめに

自分はWinXPが生まれたころから、インターネットに入り込み、ハマっています。
なので、個人サイトのCGIチャット→2ch→mixi→Blog→Twitter→Fediverseの順に色々なコミュニケーションツールを使ってきました。

Twitterが大衆的になってきた2018年頃から、だいぶ気軽に書けなくなってきました。一般化しすぎて、見る人が増えた。なので、いろんな人が集まってくる。そうすると必然的に多種多様な意見が出てしまい、日記のようななんでもないような内容しか書けなくなってしまったのです。

SNS中毒

前述したとおり、自分は様々なコミュニケーションツールを使っていたころもあり、昨今言われ始めた「SNS」にももちろんドハマりしました。
Twitterははじめて15年をゆうに超えました。オフライン(リアル)上であまりコミュニケーションを築けなかったというのも大きいでしょう。

2010年前後は、オフ会にも積極的に参加していました。その頃はまだモバイルで使えるインターネットはガラケーであり、PC用サイトは実質見られないことから、その頃もインターネットを使うにはPCが必須でした。

そんなわけで、自分にとって社会との繋がりはインターネット、そしてSNSだけになってしまった、そう言っても過言ではないでしょう。

繋がる相手との別れ

さて、ここまで書いたとおり、コミュニケーションをとるうえで必須ツールだったSNSですが、ここ最近、ストレスが溜まっていることにふと気づきました。
日常的にSNSを使っていたので、あまり気にはしていませんでした。

主なストレスとなっているSNSは、やはりTwitter(現X)でしょう。2010年ごろと違い、私のTwitterの使い方はだいぶ変わりました。その頃はコミュニケーションツールとして成り立っており、フォロワーと相互にリプしあったり、前述した通りオフ会にも積極的に参加していました。

しかし、現在はほぼ一方通行。具体的に言うと、能動的ではなく受動的なものとなってしまっています。10年もあれば、人となりとか、繋がりとかも変わるものです。

私の周りでも、同年代とはいえ、結婚したり、出世したりした人も増えました。そうなると、ライフスタイルの変化に伴って、自然と繋がりが薄れてきました。

そうして私は、情報を発信するよりも、受信することが増えました。

隠れSNS疲れ

前段が長くなりましたが、これらの事柄より、現在Twitterでの発信はかなり少なくなりました。逆に、おすすめ欄や、非公開リストを使って、色々な情報に接しています。

しかし、情報にあふれていることは、ノイズも多くなります。自分にとってストレスとなりうる内容も紛れ込みます。

先に記載した通り、自分は20年にもわたり、インターネットをコミュニケーションツールとして使い続けてきました。なので、いわゆる中毒です。ストレスとなりうる内容が多かろうとも、ずっと使い続けてきました。

しかし、転機が訪れます。それは、TwitterがXに変わったことです。そして、ここでは触れませんが、XではそれまでのTwitterの様々な機能を廃止したり、改悪しています。

私はこれに辟易してしまいました。使いづらい、と。そしてそこではじめて気づくのです。自分はTwitterというSNSにどれだけストレスを貯めていたのかということを。

SNSから離れられないのであれば、もっと優しいSNSへ

ではこれからどうしよう?そんな自分が行きついた先がFediverseでした。
MastodonやMisskeyと呼ばれる分散型SNSです。ここでは公開範囲も選択でき、検索機能がTwitterほど優れていません。また、大衆的でもないので、昨今のように公式アカウントとかがあまりありません。

なんかとても乱文長文となりましたが、結論から言えば、自分はTwitterの利用頻度を少しずつ落としていきたい、というところです。「落とす」とは言えません。10年以上もTwitterに沈んでいた自分なのですから。

そしてFediverseでひっそりと、少人数の方と、交流だけしていければいいかな、と思います。いろんな人がいますが、Fediverseの機能では、情報の取捨選択が比較的自由にできますし、ウマの合わない人とは相手に知られずに距離をとる機能もあります。

なんかまとまりのない文章となってしまいました。
また次の機会に触れたいと思いますが、今後はFediverseのようなSNSではなく、受動的でも問題ない、読書や動画といった、エンターテインメントに自分の主軸を充てたいところです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。