社会全体で育てる
こんにちは!いつも読んでくださりありがとうございます。
前回までは11月の「児童虐待防止推進月間」に合わせて、「児童虐待」と「気になる子」の支援についてお話してきました。
今日は少し変えて「社会的養護(養育)」についてお話したいと思います。少し難しいところもあるかと思いますが、なるべくわかりやすく伝えられるよう心がけますね。
社会的養育(養護)とは
みなさんは「社会的養護」「社会的養育」という言葉をご存知ですか?
社会的養護(養育)とは、「虐待や経済的理由などの家庭的な理由で保護者のもとで暮らせなくなった子ども達を、公的な責任として社会的に養育すること」をいいます。
少しわかりにくいですが、(乳児院や児童養護施設などの)施設や里親などの元で親と離れて暮らす子どもを、(国や都道府県や地域など)社会全体の支援を受けながら育てることを言います。税金も使っているので、皆さんも間接的に子供たちの支援をしていることになりますね。
ちなみに、社会的養護には生活する場所によって、施設で生活する「施設養護」と(下記図参照)、里親などの元でより一般の家庭に近い環境で生活する「家庭養護」があります。(*家庭養護の話はまたいずれお話していきますね)
【子どもが入所している施設の例】
(*施設といっても、上記のように実は色々な種類があるんです。施設のことについてもまた次にお話しますね)
そしてこの社会的養護(養育)は「子どもの最善の利益のために」と「社会全体で子どもを育む」を理念としています。
(後日詳しく説明しますが、)ざっくりいうと、子どもを護り育てるのは(親や大人や国のため等ではなく)あくまで「子どものため」であって、国にはそれを支援する責任があり、すべての国民の努めでもあるというものです。
私はこの理念、親元を離れて暮らしている子供だけでなく、すべての子どもにとって必要で大切なものだと思います。しかし、社会的養護や児童福祉に携わる人以外で、知っていたり意識したりしている人は多くはないと思います。もちろん、感覚的にそう思っている方はいらっしゃると思いますが、社会全体を見るとそういった考えがメジャーであるとはあまり感じられません。
時代背景や、土地柄、価値観、環境や様々な事情もあると思うのですが、子どもも大人もお互いに相手に関わる機会が減り、どちらも窮屈さを感じるような場面を見かけると、子ども含め子育てに関わる人たちと、そうでない人たちが分断されているような感じがして、なんとも寂しいなぁという気持ちになってしまうときがあります。
極端な言い方をすると、「子育ては好きでやってるんでしょ。」「親がちゃんと面倒見てよね」「子どもいないし関係ないから」「(子育てしてない人も)みんな大変な中ちゃんと自分たちでやってるんだから」…「(だからメイワクかけないでよね)」というような圧力を感じて切なくなるときがあります。
金銭的な問題や、社会保障の不足等だけでない育てにくさはそういった社会の態度が関係するところもあるのではないでしょうか。そういった課題を解決していくにはどうすればよいのでしょうか。
もちろん価値観も事情も人それぞれなので押し付けようというわけではないのですが、やはり「人はたった一人では生きられない」ですし、「人は一人で育つことはできない」ですから、今自分で育てている立場でも、過去に育てられていた立場でも、これから育てるかもしれない立場でも、やはり「子どもを社会みんなで育てる」ということについて、みんなが当事者意識を持つことが大切だと私は思います。 みなさんも一度はじっくり考えてみてほしいなと願います。
次回は、この理念についてもう少し詳しく離してみたいと思います。今日も読んでくださりありがとうございました🌟
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