久しぶりに劇場で映画を観て、菜食主義について考えた日。
お肉を食べない生活を始めて約8カ月。
昨年の6月頃、肉を食べることは貧困問題に加担しているということに気付いたことをきっかけに、ヴィーガン(完全菜食主義)になりました。
肉を食べるのをやめたわけ
外出控えで時間ができたおかげて、以前からなんとなく気になっていたヴィーガンというものについて調べてみることにしました。
肉を食べるという行為が及ぼす影響、肉を手にするまでの過程について、映像や本で調べました。
環境問題(地球温暖化や食糧問題)の視点と、倫理的・動物愛護的な視点という2つの視点のどちらかを通して、ビーガンになる人が多いです。
私も、いろいろ調べる中で環境問題の視点からヴィーガンを意識するようになりました。
飢えている人がたくさんいるのに、私たちが食べるお肉のために動物にこれらの穀物(大豆やトウモロコシ)を食べさせる必要はあるのだろうか。
これまで当たり前だと思っていたことが、一度崩されると納得できるまで問い続けるという癖があり、肉食についても深く考えるようになりました。
そして、未来を生きる子どものために教育を学んでいる身として、自分が肉を食べることで誰かの食事を奪っているという現実にとても違和感があり、肉を食べない生活に至りました。
その後も、動物がかわいそうという視点ではなく、畜産が地球環境に与える悪影響(CO2排出や森林破壊)など、環境問題の視点からヴィーガン生活をしてきました。
あまり受け入れられなかった動物愛護的視点への変化
動物愛護的な視点はまだ理解できていませんでした。
むしろ、「かわいそうだから食べない」という人を冷たい視線で見ていました。
しかし、『GUNDA』という映画を観たことで、私も動物愛護的な視点とされるような見方も含めて動物を食べることができなくなりました。
この映画は、ナレーションや音楽が一切ない作品で、動物の鳴き声や風の音など、自然の音だけが流れています。そして、農場に暮らす動物たち(主にブタ)の様子が映し出されています。
観る前は、そんな作品に2時間近くも耐えられないだろうと思っていました。
しかし、始まりのシーンから終わりまで、ナレーションのない物語に没頭し、圧倒されっぱなしでした。
この作品を通して、初めて動物にエンパシーすることができた気がします。
この映画の中では、エンパシーの対象が自然と動物に向けられました。
ナレーションがなくても動物の気持ちが分かり、自ずと動物と同じ立場になることのできた貴重な90分でした。
この映画が伝えたいことは明確にあるはずなのに、それを押し付けられることなく、観る人それぞれが様々なことを自由に感じ、想像することができる。
間違った解釈の仕方はないし、受け取らなければならないメッセージもない。しかし、作り手の強い何かを感じる。
これまでに出逢ったことがなかった新しいタイプの映画でした。
そして、これまで持っていなかった視点を授けられたような気がした日でした。