死ぬまで生きるしかない
生きるって何。人間って何。
なんで私はここにいるのだろう。
そんなどうしようもない謎が私の中を駆け巡っていたら、いつの間にか春休みが終わっていました。
生まれたからには死ぬしかない。
仏教では生老病死が四苦とされています。
生老病死という言葉の並びは、そのまま時間軸に当てはまります。
生まれ老いて病気になって死ぬ。
死に向かうから生まれてくることが苦だと思っていました。
でも、生きる意味なんてないのに生きていかなくちゃならないから
生まれることが苦なんだと感じるようになり、
ここ数カ月間、死に期待をしていました。
自分の死はいつやって来るんだろう。
死にたどり着いたら苦から解放される。
待ち遠しい。
なんて思っていました。
生きる意味なんてないし、生まれてこなければ、
あれもやりたいこれもやりたい、あれも欲しいこれも欲しいと煩悩に振り回されることもなかったのに、なんで生まれてきたんだろう。
幸せになってほしいと望みながら、子どもを産むなんてどうかしてる。自分は子どもは生まないぞ。
どうせいつかは死ぬのだから、自由に生きていこう。
教育とは何なのかという問いがまだ自分の中で解決できていないから、哲学をしたいから院に行く。就職なんて知らない。
なんでそんな先のことまで考えて
今に制限をかけて生きていこうとするんだろう。
いつ死ぬか分からないんだから、毎日好きなようにやりたいことをやって生きていこうじゃないか友よ。
(↑実際に言ってみたい。)
春休みは終わったけれど、自由に使える時間がたくさんある。
フリーな時間の方が多い生活がこれからもしばらく続く。
自由な時間にしていることを並べてみよう。
好きな本を読む、映画を観る、仏教の授業を受ける、
ライブに行く、ピアノを弾く、
ドラムの練習、バンド、好きなだけあんこを食べる…。
結局は、趣味と言われるような型にはまったことしかしてないやん。
自由って何なんだ。
自由ってやっぱり要らない。
好きなことを好きなときにできる
その好きなことに特別を感じなくなっている気がする。
そして本当に好きなのか分からなくなる。
無理やりにでも好きだと思い込まないと、
嫌いになってしまって何もかも辞めたくなってしまいそう。
読書も映画も音楽も
忙しくて普段はなかなか手を付けられないからこそ趣味になり、
毎日のストレスや疲れを癒してくれるからこそ、それらを望むのだろう。
就職して毎日仕事に追われる生活が欲しい。
週末は好きなことに没頭して、そのことが特別だと感じられる生活。
明日のライブのために仕事を頑張ることができる生活。
でもいざその生活を手にすると、
また今のような、自由とされる生活を求めてしまうのだろう。
ないものねだりのどうしようもない自分。
良い状態のときも、気分が沈みがちなときも、
根っこにあるのはどうしようもない自分。
生まれてきてしまったからには、死ぬしかないけれど、死ぬまでは生きるしかない。
生と死の間に中(中道)がありそうな気もする。
生を感じながらもたまには中で一呼吸を置いて、
なんで生きているんだろう、と思いながら
どうしようもない自分を受け入れて
死ぬまで生きていこう
と思った新学期初日でした。