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私が言葉と想いにこだわる理由。#ヒカリテラスの旗持ち係
私が生きる上で大切にしているものは「言葉」と「想い」です。
どんなことをしていても、いつも頭の中心にあることです。
私の原体験は、不登校であり、自殺念慮と語ることが多いですが、その中でも
「自分の気持ちが分からない。でも助けて欲しい。それが伝わらない。」
という生きづらさの根本の想いにありました。
書き言葉が好きなのは、話せない言葉の裏返し
私は、昔から何かを書くことが好きでした。
小説やエッセイを書いたり、雑誌を模して、絵や文章のレイアウトを考えて描いてみたり。
とにかく、書き言葉で表現することが好きな子どもだったように思います。
一方、周りの大人や生徒たちの顔色を伺い続けて、自分のことを話すことが苦手だった、誰かが喜ぶ嘘をつくことばかりをしていた、器用で不器用な子どもでもあったと思います。
転機は、それこそ自殺を考えて、死ねなかった前後のこと。
学校に行けない、信頼したいのに出来ない、そんな自分自身がストレスになったのか、声が出なくなりました。
話すことが意志伝達においてメインなはずですが、私はそれが出来なくなりました。
ただでさえ、コミュニケーションが取れないのに、声が出なくなるなんて。
大きなショックを受けました。
今思えば、私がいかに人生において、想いを伝えることを重要視していたか、求めていたかが分かります。
声が出ない私、そして書くことが好きだった私。
父親の「新しいことを始めたらどうか」というアドバイスを受け、
2つを掛け合わせて、私は生きる楽しみを見つけるために「文章を書く仕事」「文章を書くこと」をはじめました。
話し言葉での挫折。
私はSOSを出しても、受け入れられなかった過去があります。
①いじめられた事実を認められなかったこと。
②学校に行きたくない旨とは裏腹に、勝手に先生達に車に乗せられて学校に連れていかれたこと。
私は小学生の時に、勇気を出して助けを求めても助けてくれない、だから学校を信用しないと考えました。
学校関係の大人は信用できない。
学校は信用できない場所である。
そして、私が話したことは理解してもらえない。
私の口癖は「誰も私のこと知らないくせに。」「どうせ分かってくれないくせに。」になりました。
元々「辛いことがあっても我慢する」「もっと苦しい思いをしている人がいる」といった考えを脳内に埋め込んでいた子どもだったので、
自分の気持ちを押し込めるように。
すると、自分の気持ちがわからなくなっていきました。
本当に苦しい時、消えてしまいたい時、
どう助けてほしいのか、伝えられなくなっていました。
得意な書き言葉でさえも、出すことができなくなっていたんです。
「どうせ死んだらいいんでしょ。」
脅し文句のように、言うことしかできなかったのです。
書き言葉での成功体験。
「わかってもらえない」という思考で脳内を占めていた私が、
「文章を書くこと」を始めるために、ひょんなことからブログをはじめました。
それは、日々ネットで過ごしていた私にとって一番馴染み深いツールだったからに他なりませんが、嬉しい誤算でした。
自分の感情の整理や、感情を知る練習、文章を書く練習として始めたブログです。
不登校のこと、いじめのこと、社会問題のこと、転入した学校のこと。
色々なことを書いていくと、
ブログに理解を示してくれる人、同じ経験をした人、気持ちに共感してくれる人にたくさん出逢いました。
私はその出来事や、いただいたコメントがとても嬉しかったのです。
今まで声に出しても伝わらなかったことが、
文章を媒介して誰かに伝わる。
伝えることに対して成功経験が生まれた瞬間でした。
この成功体験は、ヒカリテラスの原点になります。
なぜヒカリテラスは「言葉の発信地」なのか。
私はブログを通して共感理解される喜びを知り、私にとっての居場所はブログになりました。
それは私の想いが詰まった場所に、私のことを思ってくれる仲間が集ってくれたからです。
「生きづらい人を応援するメディアを作りたい」
と思うようになりました。これがヒカリテラスの原点です。
生きづらいという想いに対して、共感理解という心の動きから、孤独感が無くなればいいな。
自分の想いを吐露した言葉が、誰かの心と共鳴して、繋がって仲間になればいいな。
そんな簡単なところから始まりました。
私がブログで感じた嬉しい気持ち、認められた!という想いを、
昔の私と同じように苦しんでいる人にも手渡してあげたい。
「私も同じ気持ちだよ!」という声を届けることで、「1人じゃないよ」ってことを伝えたい。
そんな単純な想いを胸に突っ走ってきました。
「生きづらいよね、わかる」「私も一緒」「1人じゃないよ」
そんな温かい言葉を発信していく場所を作りたかったんです。
「生きる希望へ繋ぐ」とはなにか。
改めて現在のヒカリテラスのテーマは、
「生きる希望へ繋ぐ言葉の発信地」です。
「生きる希望へ繋ぐ」とは、何を指しているのでしょうか。
大きな苦しみを抱える前に救える団体へ。
私はヒカリテラスを立ち上げる際、高校生の時にお世話になった編集長さんの言葉に感銘を受けていました。
「言葉には人を動かす力がある。」
私はその言葉を信じて、ずっとヒカリテラスを作ってきました。
「1人じゃないよ」「大丈夫だよ」
そのメッセージによる安心感だけで、前に進める人たちがどれだけいるのだろうか。
大学1年の秋から、私はずっと考えていました。
既に何かに何度も傷つけられた末に、ようやく「生きづらい」と言えるのだとしたら?
もう何もできなくて、言えなくて、死ぬことしか考えられないのだとしたら?
その状態を救うことも考えられますが、
私はその状態にならないようなスキルを提供したい
と考えるようになりました。
これね割とずっと思ってるんだ。
— ふくいちはる🕯 (@c_shv2) July 25, 2020
自分を見つめて、生きづらさの種を見つけて、吐き出すために見える化して、外に出す。一見簡単そうだけどとても難しい。だから吐き出せる人は少ないし、多くの人は爆発しちゃう。
生きづらさを外に出せる人を増やしたい。私もなりたい。https://t.co/rnhk7NNpOa
想いを、SOSを伝えられる人を増やす。
私自身、死にたいと思った時には、…いや「つらい」と思っていた時すらも、
自分の想いを知らなかった。だから助けを求められなかった。
のです。
もし当時の私に、今の私が何かを授けられるとしたら、
①自分の想いや感情に気付く力
②自分の想いや感情を伝えるツールと伝える力
③自分の想いや感情を伝えて、受け取ってもらえた!という成功体験
の3つがあると思います。
自分の想いを知り、伝えられるようになることが、生きづらさ緩和の第1歩だと思っています。
もちろん周りが異変に気付き、手を差し伸べることも非常に重要です。
でも、「ちょっとつらい」というような軽い段階であったとしても、不調を認識していれば、吐露していれば、
早いうちに対策が出来ると思います。
それに今では、国やNPO、ボランティアなどが相談窓口やサービスをおこなっていたり、様々な支援や居場所があったりします。
相談件数、支援数、支援の種類が増えていることも知っていますが、
実際に救われない命があったり、そもそもそのような支援先を知らなかったりが現状としてあります。
これは支援に繋がっていない証拠だと思うのです。
私自身、自殺を考えていた時、国やNPO、ボランティアなどが色々な支援をしていることは知りませんでした。
知ったのは、私が支援者の世界を知ってからです。
だから、
言葉の発信地を通して、想いや感情に共感理解をするフローから、自分と見つめ直し、不調や生きづらさを知ってもらう。
ワークショップを通して、想いを知り、伝え、受け止め合うという一連の流れから、想いを伝える、SOSを出す力を付けた人を増やす。
といった取り組みを、ヒカリテラスではおこなっています。
すべては、
支援や似た境遇の仲間、生きがいなど
生きる希望へ繋がる力を持った人を増やしたい
人々のレジリエンス、繋がる力を強めることで、「自殺」「消えたい」という言葉を考える人を減らしたい
という気持ちからです。
「生きる希望へ繋ぐ」とは、
生きるための支援、生きたいと思える仲間や未来へ繋ぐことです。
さいごに。
私自身、ブログという「言葉」と「想い」で作れる居場所のおかげで、今を少しずつ前向きに生きています。
「生きていて良かった」も少しずつアップデートできています。
言葉を通して想いを伝えることは、私にとっては生きる希望であり、生きることです。
だから私は、そしてヒカリテラスは、自身の想いを知り、言葉にして伝え、受け取るまでの流れにこだわります。
そして、ヒカリテラスを媒介して、出会った想い、見つけた言葉が、その人の生きる希望へ繋ぐことを願い、今日もゆるやかに活動します。
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