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[雑記]人生がおもしろくない。そういう自分でないといけない。
私気付いたんです。
人生が面白いとか、楽しいとか、そうやって言う人が嫌いだって。
私は、人生を面白いとか、楽しいとか、そうやって思っちゃいけないと思っていたから。
人生の暇つぶしとして、ヲタ活して、メイクして、ネイルして、そういう楽しみは持ってた方がいいなって思ってはいるけど、
ただでさえ逃げて、恵まれているのにその権利を放棄して、そんな人生なのに、
誰かの役にもたたず、社会の一部として、一個人して、求められず、愛されず、何が人生だって。
多分羨ましかった。んだと思うんですよね。
だから嫌った。
一時はもう死んじゃって、何もかも社会とか私を絶望させた全てに嫌な記憶植え付けてやろうとか、全部無かったことにしちゃおうとか、
そんなことを思ってたし、
だんだん体力も無くなってくると、死ぬことしか頭に浮かばなくなって。
もっと体力が無くなってくると、死ぬことすら出来なくなって、頭の中が真っ黒に染まっていく。
ちょっとだけ体力が戻った時、死ねなかったことがあまりにも虚しくて、怖かったんだろうとか、自己愛が強すぎて死ねなかったんだろうとか、そんな意味の無い考察をして、もう死ぬ気になれなくなった。
で、ニュースを見たり、ドラマを見たりして、
案外人って物事を忘れるものだなって思ったり、
周りの人々の話を聞いて、案外人って物事を捏造して都合のいいように解釈するんだなって思ったりして。
こうやってたった私が死んだところで、
嫌な記憶としても残らないし、都合のいいように解釈されて、嫌いな人のますかきに使われるんだろうなって思って。
死ねなかったことを後悔しないように生きなきゃいけないなと。
じゃないと私のこれまでの人生が可哀想だと思った。
辛いことを隠すためのゲームも勉強も、
学校に行ってないから頭が悪い自分を演じるための惰性も、
隠したり、演じたり、被ったり、が多すぎて、
私が何をしたら幸せか分からなかった。
とにかく色々やってみた。思うがままにやった。止まったら死ぬと思って、何も残せずに使われて死んでいくのが怖かった。だからやった。
タピオカ屋さんも、結婚式場も、バイトは全然続かなくて辛かったけど、
ブログはずっと続けてて、ライターのお仕事は本当に天職だと思った。
でも楽しいだけじゃ、きっと「逃げ癖がついてるからすぐに楽な方に行く」と思われるだろうし、
楽しいだけじゃ、何も生きた証を残せない。
楽しいことだけじゃなくて、私だから、私という意味のあることがしたいと思って、
不登校支援や生きづらさを持つ人の居場所づくりを始めた。
大好きなお姉さんたちとチャレンジすることは楽しかったし、
私だから伝えられること、変えられることがあることも知った。
誰かにとって意義のあることができること、それを継続し、貯蓄して、残していくことが、
私が生きる意味になる、私として死ななくてよかったと思えることになるって、あの頃は確信した。
でも様々な人と対峙して、学問としても深め、知識を入れていくと、欲が出る。
果たして、当事者だけの私としてここで活動していくことは本当に必要か?持続可能か?エゴじゃないか?
私も当事者で、でももうフェーズとしては、その場で安全地帯で守られたいわけではなく、
その先、今持つ生きづらさを緩和解決させていくための試行錯誤をしてみたくなった。
実際、自己決定権を研究した時のプロセスは
自分自身の生きづらさを捉え、認めるための根拠を見つけるために重要なピースで、
研究して分析するって楽しいなと気付いた。
結局、今はできていなんだけど。
なんとか、生きてやるという意地でここまで生きてきて、これが私が生きる意味だ!とか、生きててよかったな!とか、感じられたんだけど。
生きてて楽しい!人生が面白い!なんて
そんなこと思えなかった。
だって、生きなきゃいけないという義務感で生きながらえてるから。
だからそうやっていう人が嫌い。
逃げ続けた人間だから、
こうやって死んでも仕方ない。
こんな末路になって当然だ。
そう思われないように必死に生きてる。
死を考えてきた弱い私でも生きながらえて、
社会に働きを還元できる人間であると証明したい。
生きてきたことで、何か価値や愛を残して、
ちゃんとこの世に生まれてきたことに意味のある人間だったと思われたい。
そうやって生きてる。
そんな自分になるために手っ取り早かったのが、
私のように自殺を考えたり、生きることや未来に絶望したり、している未来の子どもたちのロールモデルになることだった。
まぁ生きてやりますよ。
生きていることを前提に契約してますし。
今死んだら、もったいないし。
そんな風に生きるために働きながら、それが誰かの希望になったらいいやって思うんです。
きっとこういうところが、頑固だとか、負けん気が強いだとか言うんでしょうね。
しばらくは生きます。何としても。
いつか疲れたら、田舎で茶をしばこうと思います。
それまでは「逃げ癖がついてしまった」「逃げても上手くいかない」「育て方を失敗した」と言った大人に
「そんなことない!」と言い張るために頑張ります。
ほんとに。
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