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【男も女も同じ人間。と思えるようになったのは最近、という話】
「ジェンダーに興味がある」
こう言い続けてきたけれど、その理由を詳しくは言っていなかったので、ここに書こうと思う。
私は、高校時代まで、人を性別で判断しすぎていた。
今も完全に上記の考えから抜け出せてはいないが、前よりはだいぶマシだ。今回は、「男も女も同じ人間。」と腹落ちするようになるまでの経緯を書く。
中学時代に言われた悪口
私は相手が男性か女性かを、人より重視する方だ。
相手が女性なら、自分から話かけられるし、ご飯にも誘える。でも、相手が男性の場合、特に初対面だとそうはいかない。
その理由は、ただ単に「同性の方が安心するから」だと思っていた。
でも、それ以上に根本的な理由があることに気づいた。(ある人と話していて)
私は、中学時代に同級生の男子から悪口を言われたことがある。私が体育が下手すぎて、チームの足を引っ張っていたのが要因だ。
それはいじめというほど深刻なものではなかったが、5年以上経った今でも忘れることができない。この傷はとっくに癒えていたと思っていた。しかし、今月出会った人に、こう言われた。
「あなたは人見知りだね。人見知りの人は、受け入れる人間の許容範囲が狭いんだよ。そして、それには何らかのトラウマがあるんだよね」
こう指摘された時、涙を堪えるのに必死だった。話し終えて、床に就いた後も、涙がすーっとこぼれ落ちてきた。
この方と話して、悪口を言われた経験が、私が男性に対して壁を作るきっかけになったことに、今更ながら気づいた。
友達=女子だけという幻想
突然だが、私は、高校時代の途中まで男友達がいなかった。
「友達=女子」
「男子とやたら仲がいい女子、無理だわ」
「男子は男子、女子は女子と遊ぶもんでしょ。」
そう思っていた。
今ではもっと柔軟になっては? と思うのだが、当時は本当にそう思っていた。
実際、男子と仲がいい女子に対して、「私はあの子とは違う。」 と感じていた。同時に、男女関係なく誰とでも話せる人が羨ましかった。
絶対男子に気にいられようとする素振りは取らない! と決めていたし、男子と遊ぶこともなかった。
でも、高校の途中で男子でも割と何でも言える友達ができた。
なぜその人とは、壁を作らず話せるのか、よくわからない。そこは言語化していきたい。でも、そこで「男性でも友達と呼べる人ができたやん!」と思えたことから、今の「男も女も同じ人間。」との考えに行き着かせたのだと思う。
今考えていること
上記2つの経験から、「そもそも性別とは?」「人間はいつから自分の性別を意識し始めるのか」「性差はどこまであるのか」など、性別に関して考えるようになった。
変な男性に電車で話しかけられたこと (✖️2)、電車やエスカレーターでは常に周囲を見渡して、近距離に人がいないか確かめること、ジェンダーステレオタイプに基づいた発言に敏感になったこと、男性の前でも自分の意見を言えるようになったこと、「男だから、女だから」という言葉に縛られない・それで相手を縛らないようになったこと(まだまだ不十分だが)
これらも、「私はジェンダーに興味がある」と公言する要素だ。
長々と書いたが、結局言いたいことは、「私はジェンダーに関心があり、それを今後も抱えて生きていくんだろう」ということだ。
ジェンダーについて色々意見を交わしたいし、自分の中でまだ言語化されていないものを明瞭にすることもしたい。
「ジェンダーに関する仕事をする」「ジェンダー研究をライフワークにする」ことは現時点では考えていない。けれど、私の中でジェンダーは、意識せずとも考えてしまうテーマである。
女子校・男子校と共学で育ってきた人の違い、男女間の壁について(日本と海外の違い)男性の生きづらさ (男性自身はどう感じているのか)、ジェンダー問題に対する男性の意見、など知りたいことはたくさんあります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました😌