卒業制作で考えた日光のこと(①弥生祭の価値の再認識)
卒業制作は前期で調査・後期では制作というスケジュールで進めていました。前期の調査の段階で日光の歴史や人工の推移を調査する中で、日光東町地区の一つの特徴を把握ことができました。
これらは、日光を離れるまでずっと当たり前の町のコミュニティだと思っていたものが、他には見ないこの町特徴の文化であったことを初めて知ることができました。
その特徴の一つとして、東町地区は7つの町で形成されており、その「町」というつながりをとても大切にしています。「町印」という自治体単位で有する「町」の「紋」「印」が存在し各町の個性や色をもっていることや、町内で、すれ違う人には必ず挨拶をするなどの文化がある中で、町内同士の人のつながりがとても豊かな地区であります。
そのつながりを代表するものとして「弥生祭」があります。弥生祭は起源は奈良時代に始まるといわれる日光二荒山神社の伝統ある例大祭で、東町7つの町内の7台の花家体と呼ばれる山車を、町内ごとの住民たちが力をあわせ、花家体を引きながら社寺の境内や町を一巡する伝統行事です。毎年、弥生祭の時期が近づいてくると、各町内から囃子の練習の音が町内に響き、町内ごとのつながりや、自分にとって故郷らしい風景をつくっている文化でもあります。
このように、弥生祭を通して、7つの各町内、町民同士のコミュニティを形成していましたが、そんなコミュニティの源である弥生祭が、人口減少や高齢化による担い手不足で存続、維持が危ぶまれる現状にあり、町内のつながりの、希薄化が予想されている現状にあることが調査でわかりました。
また、かつて町の中心的存在であった花家体は、祭以外時、1年のほとんどはシャッター庫で眠っています。
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