日記がセルフケアとして機能しはじめる【2023.12.09~2023.12.15の日記】

2023年12月9日(土)

 二回目の日記ワークショップの日。ワークショップが始まる前に、都合のつく人たちで新宿のむさしの森珈琲に集まり、作業会(日記やその他の文章を書いてもよし、おしゃべりをしても、ごはんを食べてもよし)をしようという話になる。むさしの森珈琲のすぐ隣りにスタバがあって、その間に小さなボルダリングウォールがあった。ひとりだけ登っている人がいたので、つい観察してしまう。

 店内で無事みなさんに合流して、ベーコンエッグガレットというものを注文する。以前にワークショップメンバーのQさんが日記でガレットを食べたと書いていて、この日は絶対に頼もうと決めていた。

 ガレットはおいしかった。目玉焼きが乗っていた。いい感じに固まった黄身と、トロッとした白身。卵を包んで食べてもおいしいし、ガレットそのものだけで食べてもおいしい。サラダ的な葉物野菜も乗っていた。新鮮な野菜っていいよね、なんか健康になった気がして。

 ……以上が、わたしの食べたガレットの描写である。下手すぎる! あまりにも下手すぎる。ワークショップメンバーDさんがまさにこの日の日記で書いていたけれど、わたしもたいていの食べ物は「おいしい」か「すごくおいしい!」の2パターンしか感想がない。もっと勉強しよう……と思ったけれど、そもそもわたしに必要なのは、食に対しての関心と好奇心だろう。食べることは好きといえば好きだけれど、食に対する熱意や愛がまったく足りていない。食は暮らしの根幹を成すもので、食べることは生きることだ、という文言はよく耳にする。でもわたしには、そういう生き物としての真っ当なすこやかさが欠けているなあとつねづね思う。悲しい。なんだか感情のないロボットになった気分。でも、すこやかでなくて何が悪い、ほっとけわたしの人生だ、という気持ちも正直に言うとある。

 この日のワークショップでは、Lさんがおっしゃっていた「本当に大切なことは胸にしまっておいていい」という話が印象的だった。そういえばわたしも、この日記を始めた当初は、夫のことは書かないでおこうと思っていたのだった。日常のなかでふたりの間に起きたことを、ソーシャルなネタに落としたくないと思ったから。

 でも個人的には、本当に大切な思い出や出来事、感情の動きといったものは、オープンにしたり誰かとシェアしたりする必要はなくても、そういう瞬間こそ文章化したいという欲求が強くある。文章じゃなくて絵でも写真でも、短歌でもいいのだろうけど、わたしはたぶん文章にするのが合っている。

 いまはわたしの技術が足りなくて、言葉にすると逆に陳腐になってしまいそうだけど、いつかは文章化できたらいいなと思う瞬間の記憶が、わたしの人生にはたくさんある。うつをこじらせてもう死ぬしかないと思って絶望の中で見上げた空の青さ。それから数年たち、回復して元気を取りもどした春の暖かな午後に咲きはじめた桜を見て「生きのびたな」と実感したときの心の動き。癌で死んだ父と最後にふたりで交わした会話の内容。いま、わたしの隣りで寝ている夫の、クセの強い寝るときの体勢と寝息の愛らしさ。そういうのを、いつか文章にできたらいい。

2023年12月10日(日)

 朝から何となく気分が晴れない。また調子の悪い時期に差しかかりつつあるのかもしれない。でも勘違いかもしれない、ただ睡眠がうまく取れなかっただけかもしれない。嫌な予感を振りはらうため、夫につきあってもらって公園へ散歩に行く。暖かな日曜の朝で、家族連れや犬の散歩に来ている人、ジョギングをする人がたくさんいた。日差しを浴びて少し元気になる。途中で見かけた犬の数、32。

 体調が悪いので、出かける予定をキャンセルして一日家で過ごすことにする。すべての読みかけの本をいったん中止して、アガサ・クリスティに切り替える。調子の悪いときはクリスティのミステリ小説に限る。

 クリスティは小五のときからずっと読み続けていて、ほぼすべての作品を読んでいる。すべての作品の犯人も、トリックも、ストーリー構成も頭に入っている。でも繰りかえし何度も読んでいる。わたしにとってクリスティは「実家のみそ汁」みたいなもので、世界一おいしいと思っているわけではないけれど、どんな有名シェフの作ったみそ汁よりも心身に馴染む。

 この日は『アクロイド殺し』を読んだ。ド定番のやつ。クリスティの『アクロイド殺し』と『オリエント急行の殺人』を、子どものころにネタバレなしの状態で読めたことは、ミステリ読みであるわたしの数少ない自慢のひとつだ。

 暇なので、土曜のワークショップを反芻して過ごす。同じグループだったTさん、Qさんと話して、わたしは思ったより読む人のことを意識して文章を書いているのかもしれないと思うようになった。初回のワークショップで顔を合わせてからは、特にそういう面がある。みなさんとの距離感が、近づいたり離れたりする。Qさんはその辺の距離の取りかたが絶妙だなと思う。力みがない。とても自然だ。Tさんはあえて離れている。離れたままでいることを、非常に繊細に意識している方だという気がする。そんなことを考えていた。

2023年12月11日(月)

 メンタルの調子がよくないので、引きつづきアガサ・クリスティの『アクロイド殺し』を読んですごした。クリスティはいい。いわくありげな登場人物が次々に出てきて、ムードが盛り上がったところで期待通りに殺人が起こり、名探偵が登場し、あらゆる登場人物が疑われ、最終的に名探偵が華々しく事件を解決する。めでたしめでたし。エンタメの醍醐味が詰まっていると思う。現実逃避にも最適だ。

2023年12月12日(火)

 桜木町駅の周辺にはカフェがたくさんあって、スタバだけで5、6件ある。ほかにもチェーン展開のカフェがいくつもあって、人口のわりに過剰にカフェが集中しているなと思う。わたしのお気に入りは、駅からちょっと離れたところにあるタリーズだ。

 この日、そのタリーズに行ったら、レジを担当してくれた店員さんがどうやら新人さんのようだった。隣りに、ベテランっぽい雰囲気の店員さんがぴったりはりついて、ヒソヒソと小声で指示を出している。こういうとき、わたしは無駄にもの分かりのいい客を演じようとしてしまう。意味もなく模範的な客であろうとしてしまう。新人の店員さんを応援する気持ちもあるけれど、店員さんの緊張を過剰に感じとって、この場を円滑に進めたいと思ってしまうのだ。わたしは滑舌が悪いので、研修中の店員さんに聞こえやすいよう、いつも以上にはっきりと注文内容を口にする。ヨーグルトアンドアサイーを、ひとつ、以上ですっ。はいっ、ここで飲んでいきますっ。はい、はいっ、お会計は、スイカでお願いしますっ。お会計にはやたらと時間がかかったけれど、注文したヨーグルトアンドアサイーは別の店員さんがものすごいスピードで作ってくれていて、会計が終わるのとほぼ同じタイミングでピシッと出てきた。

2023年12月13日(水)

 午後、2度目のカウンセリングを受けるため、行きつけの心療内科へ。時間に余裕があったので、遠回りして公園のなかを通って向かうことにする。午後の公園は穏やかだ。紅葉した木々を照らす日差しも、朝とは違って優しい。朝はジョギングをする人、散歩をするお年寄りが多いけれど、午後はベビーカーに入った赤ちゃんとその保護者さん、遊んでいる子どもたちが多い。犬の散歩をしている人はいつの時間帯も多い。池の近くに、うんこだー!うんこだー!と叫びながらひとりで走りまわっている少年がいて、グッド・バイブスを感じた。途中で見かけた犬の数、11。

 カウンセリングでは、この日記ワークショップのことを話した。そりゃ当然話しますよね、この数週間は、日記がわたしの生活の中心を占めているといっても過言ではない。日記を書くのもそうだけど、ワークショップメンバーみんなの日記を読むのにもハマっている。SNSとも違うし、本としてまとめられた日記とも違うライブ感があって新鮮だ。休職中で毎日何もしていないのに、書くことならいくらでもあるのが面白いし、くだらないことを長々と書いても許される環境なのが嬉しい。書いているうちに自分の気持ちの整理もつくし……と話していたら、カウンセラーの先生が「日記がセルフケアとして機能しているんですね」とおっしゃって、そうそう、それそれ!わたしの言いたかったことはそれ!と思った。

 日記はセルフケアの代わりになる。書くことで、自分の生活や自分の思ったことを、ちょっと大切に扱っているような気持ちになる。普通に生きていると、特に忙しいときなんかは、自分の生活や自分の感情をないがしろにしがちだ。わたしは特にそういう傾向がある。自分の気持ちにいちいち目をかけてあげられない。雑に扱ってしまう。それはよくないことだという気がするので、やっぱり日記があって救われているなと思った。

2023年​​12月14日(木)

 ワークショップで話に出た「モーニングページ」というものをやってみることにする。それにあたり、最近は使っていなかった万年筆を持ちだす。昔、万年筆にハマって、何本も買いそろえた時期があった。万年筆界には、深い深い沼が広がっている。入門用の廉価版はだいたい1,000円から。国内メーカーのスタンダード商品は3〜5万円、海外メーカーのものだとさらに高価になる。みんなの憧れ、モンブランのヘリテージモデルだと10万円前後のお値段になる。そこから限定版、特別製造品……と上には上があってキリがない。わたしも当時はそこそこいい価格のペンを使っていたけれど、結局1,000円で買った国内メーカーの初心者向け万年筆が、いちばん書き心地がいいことに気づいてしまい、熱が冷めた。

 わたしはわりとそういうところがある。誰もが認める高品質な商品より、廉価で庶民的なもののほうが自分に馴染む。オーラリーの5万円のニットより、ユニクロで買ったニットのほうが明らかに似合う、とか、ジャンポール・エヴァンの高級チョコレートより、ロッテのガーナチョコのほうがおいしいと感じてしまう、とか。身の丈に合っているから、と言ってしまえばそれまでなんだけれど、上質な文化の価値が理解できない、つまらない人間なようでちょっと悲しい。庶民の星のもとに生まれたわたし。香水にも一時期ハマっていて、ニッチ・フレグランスの沼に片足を突っ込んでいたけれど、結局わたしのいちばん好きな香りは、ロクシタンのヴァーベナだという結論に達して憑き物が落ちた。ロクシタンだったら日本中のあらゆる都市で買えるのに、日本未入荷フレグランスの情報に血まなこになっていたあの日々はいったいなんだったんだ。

 そういうわけで昔に買った1,000円の万年筆を手に、モーニングページをスタートする。そのなかでふと、わたしは日記を書くことで現実逃避をしているのかな、と思いあたる。日記を書くのはとても楽しい。楽しいというか、ラクだ。ラクなのに、書きあげると何かを成しとげた気分になる。それが毎日続く。だからハマってしまう。わたしがこんなにも日記を書くこと・読むことに入れこんでいるのは、ラクなほうへ逃げているからなのかもな、と思う。

 とはいえ、日記には自分と向きあう効果もあるはずだ。カウンセラーの先生だって、「日記がセルフケアになっている」とおっしゃっていたし。わたしが、日記に熱中することで目を背けようとしている現実ってなんだろう? それはうすうすわかっている、仕事のことだ。わかってはいるんだ、自分でも。

2023年12月15日(金)

 天候のすっきりしない金曜日。自分の気持ちもすっきりとせず、日記を書いたあとは1日ぼんやりと過ごしてしまった。ソファに寝転がって、ベランダ越しにいまにも雨の降りそうな曇り空を見たり、在宅勤務中の夫がオンライン会議をしている声をうっすらと聞いたり。休息のための一日。無職なので毎日休息しているようなものだけど。

 この日のハイライトは、お風呂場のシャワーヘッドをつけかえたこと。数日前に突如シャワーが壊れて、そのときにシャワーホースを買いかえた。そのついでにシャワーヘッドも変えてみようということになり、注文していた商品が届いたのだった。さっそくつけかえてお風呂に入ってみる。新しいシャワーヘッドの特長は、水の放出モードが3パターンあって切りかえられ、そのうちのひとつにミストモードがある、というもの。ミストにすると普通のシャワーより細かい水の粒子が肌の汚れを隅々まで優しく洗い流します……というようなことが書いてあり、ほんとかよ、と思う。というわけでミストモードにして使ってみる。肌に水が当たっている感覚がないのに体が濡れるのがなんだか怖くて、慣れなくてすぐやめてしまった。

 暇なので、買うだけ買って積んであったスーザン・ソンタグの本を手に取って読む。

強さ、強さこそが私の求めるもの。それは耐える強さではなく——それなら私は持っているし、それが私の弱さにもなっている——、行動する強さだ。

『スーザン・ソンタグ 「脆さ」にあらがう思想』波戸岡景太・著 集英社新書

 本を投げ出して、XやXやXを見る(この表現はワークショップメンバーDさんの真似です)。太田出版のウェブマガジンに載っている竹田ダニエルさんの連載が更新されていることに気づき、読む。竹田ダニエルさんは、アメリカのZ世代が置かれている状況や彼らの価値観について、当事者の立場から論評をおこなっており、以前からとても注目している。著書の『世界と私のA to Z』も面白く読んだ。この連載の最新回では、資本主義的な文脈に回収されない、ヘルシーなセルフケアについて語っている。その中で、次の文章が印象に残った。

「セルフケア」には、行動だけではなく「意識」が重要になってくる。「自分は大切に扱われるべき価値ある人間である」と、(中略)自分の体や精神に対しても客観的な目線からケアを与える習慣をつけることこそが、「セルフケア」の根幹である。

「生産性」に回収されない、ヘルシーなセルフケアとは? – OHTABOOKSTAND

 一日ソファに寝そべって怠惰をむさぼっていた日でも、こうやって日記にすると、なんだか文化的な生活を送っていたように見える。でも本当は、大半の時間を「ミツカン創業家のお家騒動」のゴシップ記事を読みあさるのに使っていたので、全然文化的ではなかったです。わたしには、こういうゴシップ記事でしか癒せない心の空白が、ときどきポッカリと生まれてしまうのです。

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