記憶の固執
先日、ガス会社との契約を改めた。僕の住むアパートは都市ガスではなくプロパンで、担当の業者が変わったというわけだ。
僕の部屋は元々コンロが備え付けられていなかったが、そもそも料理をしない僕にとっては、もし置いてあったとしても邪魔くさいだけからこれはありがたいことだった。
したがって、僕がガスを使うのはシャワーの時に限られる(風呂給湯器もなく不経済なので湯船に湯を張ることもない)ため、プロパンが都市ガスより高いと言ってもたかが知れている。聞けば上の階の方は2人家族で料理もするため、月のガス代が1万円を軽く超えて参っているらしい。
今回業者が変わることで、少しガス代は安くなるという話であった。
で、契約先を変えるからには、支払いの方法を新たに登録し直さなくてはならなくなる。今はほんとうに便利な時代で、こういう手続きもすべてスマホのアプリからできてしまうのだ。
支払いは口座引き落としかクレジットが選べるというので、その場でアプリにクレジットカードを登録した。
ところで僕はネットでよく買い物をするのだが、支払いの手段であるクレジットカードはあまりサイトに登録しないようにしている。いちおうセキュリティ面を懸念してのことだが、どれだけ効果があるのかは実際よくわからない。
しかしそうなると、カード番号とか有効期限を買い物のたびに手動で入力しなければならないわけで、いちいち財布からカードを取り出して参照するのはけっこう面倒なものだ。
何においても冗長な手間を毛嫌いする僕は、その工程を踏むたびに少なからぬストレスを受け続け、とうとう最終的にカード番号をすべて暗記してしまったのだった。
今回の契約の際にも、業者の目の前でカード番号などをソラで入力したところ、「カード見ないでやる人は初めて見ましたよ!」と大層驚かれた。
まあそれ自体はいいのだが、その後いろいろと契約上の話をする中で、ことあるごとに「いや~、やっぱ天才は違いますね」と言ってくるのは、なかなかやりづらいものがあった。
しかしクレカ番号というのは、全部覚えるのが困難なほどのレベルかというと、別にそうでもないと僕は思う。
一般的なクレカの支払いに必要なのは、カード番号16ケタと有効期限の年月(2021年11月なら11/21)で4ケタ、それから裏面のパスコード3ケタで合わせて23ケタ程度の数列だ。これは電話番号で言うと2件分にすぎないわけで、そう考えればさほどの困難とも感じられないだろう。
といって、今は電話番号を覚えるという習慣もないのかもしれない。かくいう僕もいま記憶している電話番号はせいぜい10件くらいなものだ。記憶能力うんぬんより、電話をかけることがなくなった現代では覚える必要がないのだから仕方のないことだ。
必要かどうか、というより、暗記することそのものに対する気力の強さというのも、けっこう要素としては大きいか。
僕は昔から意味のない数字の羅列を覚えるのがわりに得意で、よくある語呂合わせに頼らないで暗記できるから、そこそこ長い数列でもその気になれば覚えていられる。
この年になっても小学生の時分に覚えた円周率100ケタを未だに諳んじることができるのはちょっとした特技だが、これを「産医師異国に向こう、産後厄無く……」と語呂でやっていくのは限界があろう。
(むろん、役になったことは人生で1度たりともない)
反対に、人の顔と名前とを覚えるのは恐ろしく不得手で、また忘れるのも早い。たとえ仕事の同僚であっても、辞めて1年くらい経ったら名前を思い出せなくなっているなんてこともザラだ。要するに、深層心理として覚える/覚えておくほどの興味がないのだ。
困るのは、興味があるにもかかわらずどうしても覚えておけないカテゴリーで、僕の場合、小説や映画のストーリーがこれにあたる。
本について言えば、読んでいる間は特に問題がない。よほど複雑でなければ話がこんがらがったりすることも少ないし、物語としてきちんと楽しむことだってできる。
しかしひとたび読み終わると、たちまちのうちにそのストーリーが忘却の彼方に失してしまうのだから呆れる。なんとなくの雰囲気とか場面単位で覚えていることはあっても、「これはこういうお話」といって説明できるほどまとまった記憶ができないのだ。
だからいまだに古本的な勉強をするときにも非常に苦労するし、遡っては学生の時分、文学の研究がどうにもピンとこなかった理由は、あるいはこういう部分に認められるのかもしれない。
そういう背景があるから、よりにもよって記憶能力の点で「天才」と称されるのは心苦しく、よもやガスの契約で自己嫌悪を増長させることになるとは想像だにしていないことであった。
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