試験と不祥事
センター試験の日である。
折しも有名な予備校講師が逮捕され、まあ著書が回収になるのかどうかはわからない(現段階ではならないことになっている)が、教わっていた生徒からしたら衝撃だろうし、多かれ少なかれ集中力を削ぐこととなったのは気の毒でならない。
当該の講師、僕は受験生の頃からあまり好きではなかった。
単語なんかは機械的に記憶しなくてはならない部分だから、語呂の手ほどきをするのはよいにしても、演習においてもなお小手先のテクニックを前面に押し出していくスタイルが、本質的であるとは到底思えなかったのだ。
自身で出した解法集の「パターン」に沿って独自の記号を書き込み、作業的に回答していくというのは、確かに明快ではある。
こと現代文のように具体的な対策法が見えづらい科目においては、迷える受験生が頼りたくなるのも尤もなことであろう。
けれどもそれは、結局のところ読解力にはつながっておらず、「提示された文章を読み解く」という前提から大きく逸脱しているわけで、△だか▽だかを必死に書き込んでいるうちに文章を読む根本の力が衰えてしまうのではないかと僕は思う。
何を隠そう、途中でそれに気づいて氏のやり方を棄てたのが、受験生だったころの僕なのである。
僕の場合は国語がそこまで得意ではなくて、国文に入ったくせにスコアとしては英語と数学に頼り切りなくらいだったからあまり影響はなかったけれども、大人になって読み返すと、氏の漢文参考書のひどさが際立っていることに気づく。
科目としての理想は学校のお勉強が目指すところであって、予備校的な指導ではあくまでも高得点を追求するものだというのも、理解はできる。
が、それで乗り越えた受験戦争の先に、明るい学びは待っていないだろう。
(なんていう呟きは受験生にとって老婆心もいい所である)
そういえば僕は昔、渦中の予備校でチューター的な仕事をしていたことがある。
仕事そのものは楽しかったけれども、勤務しだしてすぐに朝令暮改みたような事例が頻発し、イラっとして辞めてしまったが、当時は今のように講師がタレント活動を開始する以前のこと。
今はもっと「忙しく」なっていることと思う。
受験の制度が大きく変わりつつあり、受験生も振り回されている昨今、予備校は無用なショックを与えぬよう万全の環境を提供すべきであるということは、僕なぞがしたり顔で述べるまでもない。
何より、雪がひどくならなかったのは幸甚である。
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