読書日記断片④ ある潔癖の逸話から
己を護るために外出を控えているわけではない。
仕事柄、感染するしないという観点でいくと、感染していない方がおかしいと自分では思っている。ともかく症状が出なければそのまま過ごすし、重症化したら死ぬだけの話だ。
言うなれば玉砕覚悟の生き方をしているわけだけども、年が明けてからほとんど休日に出歩いていないのは、ひとえに寒さが身に応えてのことである。
「夏の暑さは命にかかわるが、東京の冬は着込んでさえいれば死ぬことはあるまい」と常温を貫いているのだが、ボロアパートゆえ室温がほぼ外気温と変わらないのには閉口する。なにしろ家じゅうどこにいても息が白いのだ。
そんなわけで、在宅時も5枚くらい着込んでちまちまと文化的な娯楽に興じる今日この頃……。
★式場隆三郎『脳室反射鏡』(高見澤木版社)
シキバリューザブロー、と聞いて「ああ、あの式場ね」と言える人はなかなか本を読む方ではないかと思う。
精神科医でありながら白樺派とのかかわりを持ち、「炎の画家」ゴッホの研究や「裸の大将」こと山下清を世間に紹介したことでも知られているが、
個人的には、かつて深川に聳えた怪建築「二笑亭」についての記録『二笑亭綺譚』の著者としての印象が強い(同書は好きすぎて8種類の版を架蔵しているくらいだ)。
とにかく広範な仕事ぶりで、正直、著作の全容を把握することはおそらく不可能である。
先日、練馬区立美術館に式場隆三郎展が巡回してきたが、そのタイトルに使われたのが、この『脳室反射鏡』であった。
このタイトルの意味するところは、本人が書き残していないらしいので不明だが、天才たちの脳内を解き明かすように執筆をつづけた姿勢が表れているような気もする。
棟方志功の木版装が光る本書には、式場が昭和14年までに書いた随筆が集められていて、内容も多岐にわたる。精神医学、セザンヌ、双葉山との邂逅、愛書趣味について……。
とりわけ目を惹いたものに「潔癖綺譚」という文があった。
式場のもとへ相談に来た赤井さんという患者が病的な潔癖で、〈あの潔癖地獄から救ふのは、医者としての私の責任である〉と意気込むのだが、赤井さん本人が〈何らか役に立つなら何処へでも発表してくださいと云ふ〉ので、そのエピソードを〈奇談にも珍談にも当らないかもしれないが、覚書のやうなつもりでかいてみ〉たとある。
本人には申し訳ないが、非常に興味深いので、いくつかエピソードを抜き書きしてみる(旧字は新字に改め、仮名遣いは原文ママ)。
なお内容的にキタナイ話もあるので、お食事中の方は読み飛ばしていただきたい。
少い日でも朝晩、多い日は一日七八回の入浴は、赤井さんの心を休める唯一の方法である。石鹸は二日に一つの割で消費される。手足は勿論だが、鼻腔、耳孔もシヤボン水で洗はれ、口中までシヤボンの泡で一杯になる。その上、少量のシヤボンの水がのみこまれる。
浴室以外の部屋で最も目立つのは、揮発油とアルコールのビンである。多い日は一日三本も費はれる。(pp.170-171)
本書の刊行は昭和14年のこと。医療関係者でもないのに自宅にアルコールを常備しているのは、この時代の日本ではさぞかし珍しかったであろう。
「袖すり合ふも多少の縁(引用註:原文ママ)」とは、赤井さんにとつては逆の諺である。何とかして人と擦り合はないやうに生活しようとするのが、赤井さんの日常である。唾のついた袖、裾が恐ろしい。和服や袴をはいた人は、地上の唾や糞をつける危険がある。さういふ人に近づく時の恐怖は、千仭の谷をのぞく想ひがする。
エレベーターは一人でなければ乗れない。汽車も二等が混んでゐれば、一等に乗らねばならない。狭い所、人込みは何と恐ろしい世界だらう。(pp.176-177)
戦前の世にあって「ソーシャル・ディスタンス」を励行していたわけだ。
赤井さんが徹底して嫌うのは、唾や糞便といった排泄物であるという。〈赤井さんが苦しみながらも、社会人として生活できるのは、その仇敵がこれらに限られているからだ(p.171)〉と式場は言っているが、他人の衣服が〈仇敵〉に触れた可能性があるから恐れるというのでは、ほんとうに〈社会人として生活でき〉ているか、正直怪しい。
どんなに注意してゐても。指は汚れることがある。家へ帰らなければ、その汚れは清められぬ。だが用があつて、家へは戻れない。やむない時は、清浄の指を二本だけ残して置く。それを無理に守り通すための心労は、並大抵ではない。心ない奴は、笑はば笑へ。私はこの二本の指で生きてゐる! といふ悲壮な気持になつてくる。
それならば、何故手袋を使はないのか? と逆襲したいだらう。よろしい、手袋は使つてみた。しかし、それをはめると指の敏活が減つて、汚物に接する機会が多くなる。その汚れた手袋をはめてゐる気持の悪さは、糞壺に浸つてゐるやうだ。それを消毒するには、大変な時間がかかる。うら返すのは勿論だが、あの細かい目の中へ滲みこんだ汚物を消毒しつくす手間は、指を洗ふ比ではない。
外套もこの意味で、着たことがない。冬の日も、雨の日も外套は着られない。(pp.178-179)
ここで吐露するのは憚られるが、何を隠そう僕も潔癖の気があるので、この部分は大いに共感することができた。僕も似たような思考から、電車のつり革に触る指が決まっているのだ。
さすがに寒ければ外套(コート)は着るし、手袋だってはめるが、考えてみると、確かに手袋をつけた手で何かに触れるとき、また外で十分に洗っていない手を手袋へ突っ込むときなどは些か緊張が走る。
神経質な排除に至るかどうかは別として、郵便受けを開けたり、自転車のカギをかけたりといった、屋外での動作でそんなことがいちいち頭をよぎる方がもしいたら、立派な潔癖仲間であろうと思う。
エピソードとしては面白いが、式場はこれを神経症のひとつとみなし、どうにか治してやりたいという強い意思を示している。本文の結びは以下のようになっている。
これを克服することは不可能ではない。自分のやうな激しいものは、不治だとあきらめてはいけない。本当に治す決心がつけば、必ず治るものだ。
治らないのではなく、治さないのだ。治さうと努めてゐるやうに見えても。実は却って重くするやうに努めてゐる場合が多い。
赤井さんは、自動車の中から銀座の舗道を歩く人々をみて、
「何といふ朗らかな人々だらう。せめて一日一刻でもあんなに呑気になつて歩いてみたい」
と思ふさうだ。かういふ甘い感傷が、一層症状を重くする。
私は赤井さんと取組んで、この潔癖綺譚を抹殺しよう。私は成功を確信してゐる。(p.184)
さて、ある意味では笑い話のような症例を紹介したこの文だが、現代に生きる我々は赤井さんを嗤うことができるだろうか。
この流行感冒の世にあって、過剰に消毒に努めてやりすぎということはあるまい。それは確かに事実だ。
しかし方向があまりにも非科学的であっては、口の中どころか胃の中まで石鹸で洗う赤井さんと同じく神経質な奇行に過ぎないのではないか。
目下、流行っているのは肺炎である。皮膚病ではない。
他人の指に触れたり、公共物を触ったところで、その指を嘗めたりしない限りはまず感染しないと言ってよいだろう。
それを、なぜだか仰々しくゴム手袋なぞつけての接客を推奨する向きが見られるが、あれは潔癖の僕からすれば却って不潔である。〈あの細かい目の中へ滲みこんだ汚物を消毒しつくす手間は、指を洗ふ比ではない〉と言って手袋を忌避した赤井さんの方が、よほど理にかなっている。
まあでも、そんなアレコレが過去のものとなり、「あの時のあれはバカバカしかったよね」なんて笑い話にできるようになれば、その時こそようやく忌々しい感冒を克服したと言えるのだろう。
その時までの辛抱、と言いたいところだが、どうにも雲行きの怪しいのが我が国、現代の孕む困難である。
なにより、古い本を読んでいる最中にも時勢がチラつくのは迷惑な話だ。
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