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安価な初版本

今後は読んだ本の話をします、とかいいつつ買った本の話をする。


ここ2週間ばかり、どうも忙しくて寝ている時間すらうまくとれなかった。

というのも、これまでなら仕事を終えてはアニメを観るなりYouTubeを眺めるなりダラダラ過ごしてたところに、慣れない読書習慣をムリヤリぶち込んだものだから、単純に睡眠時間の方を圧迫する結果となってしまったのだ。

アニメ時間を削るのが正解なのだけれど、幸か不幸か、今期は観るものが多いのでそうもゆかないのである。

健康のことは一旦措いて、幸せな悩みであることは間違いない。


で、神保町。

今週(20-21日)の古書展は「趣味の古書展」と呼ばれるもので、以前も書いたが近代文学コレクターならば何を捨てても行かなくてはいけない催事である。

なにしろ夜型の生活をしているものだから、寝不足でどうにか終えた仕事のあと、少し仮眠をとってからの参戦となる。コンディションが悪いのは当然のことで、それでも古本を漁っている間は溌剌としているのだから、傍からは気が違っていると見えても不思議ではない。


この時局での開催、それも東京都の感染者数が伸びに伸びているところだから、急に開催を見合わせるのではないかという懸念ももちろんあった。

が、金曜の朝イチに来てみると無事開催の由。整理券を配布、従来のように並ばせるということはしないで、時間になったら1人ずつ会場に入らせるという方式であった。
公平性は少し欠くけれども、やっていただいている以上、あまり無茶は言えない。というかぶっちゃけ僕は1時間ちょい早く来、整理番号ヒトケタで入れたので何も文句はないのだった。



結果からいうと、この日は30冊以上の本を買い、会計は3万ちょいだった。

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年齢を問わず、一遍にここまでの量を買う人っていうのは界隈でもそんなに多くなくて、まして手持ちで帰るという酔狂はさらに少ない。

それでも発送すると千円ちょっとかかってしまうわけで、「それだけありゃもう1冊買えるがな」という貧乏根性丸出しで諸手にぶら下げ、エッチラオッチラ帰るのである。

別に重たいのはいいのだが、会計の時に値札を1枚1枚剥がして計算し、包んでくれるスタッフの方には申し訳なく思ったりする。


今日の収穫で嬉しいのはこのあたり。

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写真にあるのはすべて明治期の文学書である。田山花袋『第二従征日記』とか小杉天外『にせ紫』とか、木版口絵とか裏表紙が外れていたりするのですごく安く買うことができて嬉しい。


木版口絵」というのが馴染み薄いかもしれない。

明治あたりの大衆向けに書かれた小説には、よく巻頭に美しい多色刷り木版や石版の口絵が挿まれている。

たとえば、これはきょう買ったものではないが、尾崎紅葉『此ぬし』初版本はこんな感じ。

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1枚目が表紙、2枚目が木版口絵のページである。

この口絵は小説の1場面を(少し誇張ぎみに)表したもので、文章だけでなくビジュアルでも内容を楽しめるように挿まれているのだと思うが、よく考えてみれば電撃文庫とかのライトノベルでも巻頭にカラーページがあったりするし、その系譜に位置付けても良いのかもしれない。

この口絵は単体で綺麗なものだから、しばし切り取られて本とは別にコレクションされた。残った本は書物としての美しさにおいて大きな欠点を持つことになり、必然的に「口絵欠」のレッテルを貼られた本は古書価が暴落するのである。

僕は収集範囲がかなり広く、その全部を完品でそろえるのは経済的に無理がある。したがって、むしろ口絵がないがために安価になっている本の方がありがたく思っているわけだ。


個々で面白い本はたくさん買ったが、中でも『夏小袖』は嬉しかった。

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冒頭には「森盈流」の名があり、これは原著者「モリエール」のことだが、訳者(翻案という意味では作者)の名前は表紙にも奥付にも記載されていない。

実はこれ、あの尾崎紅葉の手による作品。
それでも書かれてないのには理由があって、実は発行当時「この作者は誰でしょう」という懸賞が催されていたのである。

僕が買ったものはボロいから残っていなかったが、巻末には応募用紙がくっついていて、当てた人には『夏小袖』の代金以内の春陽堂の本が進呈されたとかいうことである。(以下の国会デジコレには残っている)


今日は先輩方ともたくさんお話しでき、古本の楽しさを噛みしめながら棚を漁ることができた。当面はペースを緩められそうにはない。

言ってるそばから、翌土曜日には追加で20冊買ってしまうのだから、まさに病膏肓に入るありさまである。

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