セーラームーンを観ている
ふと振り返れば、とぱーずさんと「なかよし展」へ足を運んだのが、もう半年も前のことになってしまった。
ただただ楽しかった一方で不勉強を痛感した僕は、もっと少女漫画に触れておきたいと思ったのだが、日々の喧騒に埋もれるかたちで、この半年間、願いは達成されることがなかった。
実のところ、『カードキャプターさくら』を全巻(それも最新のなかよし60周年記念版で)買ってみたりはしたのだけど、落ち着いて読もうとするとなかなかタイミングが取れなくて、まだ大事に積ン読してあるのが情けない。
読む時間がとれないことは絶対にないのだが、吝嗇が災いして読んでしまうのがもったいなく感じられているのである。
そんな状況にあって、YouTubeにおいて公式が「セーラームーン」を無料配信し始めた。
かねてより一度は観ておかなくてはいけない作品だと思っていたから、正直とても嬉しい。
セーラームーン(無印)のアニメが放送されたのは92-93年のことだから、僕の同級生はちょっと世代から外れているらしい。
けれども僕の幼馴染の家には人形だか変身グッズだかが転がっていた記憶があるし、周りにも「履修済み」の人はけっこういた気がする。再放送とか親の影響とかで見る向きが多かったのだろうか?
セーラームーンといってまず思い出すのは、大学で催された特別講義だ。「セーラームーンと三島由紀夫」とかそんな題目だったように記憶しているから、おそらく千田洋幸先生の講演だろう。当時セーラームーンはもちろん未見だったし、三島由紀夫についても良い読者ではなかったから、講義内容をしっかり理解できていたとはいいがたく、現に今となってはどんな話だったか全く思い出せない。
ただ、講義の中でセーラームーンのおそらく最終話の映像が使われていたような薄ぼんやりとした記憶だけは残っている。いわゆる最終決戦のような場面で、戦いのゴングよろしくオープニング曲の「ムーンライト伝説」が流れ出すという、たぶん文脈からすれば鳥肌モノ(あるいは感涙必死)のシーンであるが、観たことのない僕にとってはネタバレ甚だしい紹介であった。
爾来ネタバレを心から憎む僕にとってみれば、実に残酷な講義だったわけだが、物覚えの悪いことが幸いして、そのシーンをとりまくストーリーや細かい部分の一切は忘却の彼方に失してしまった。ネタバレから数年を経ることでようやく、本編を観る準備が整ったというわけである。
セーラームーンのストーリーについて、僕があらかじめ知っていることはそんなに多くなかった。
・主人公は月野うさぎ(CV:三石琴乃)。
・ルナという黒猫が出てくる。
・星の名前にちなんだ「セーラー戦士」たちが悪と戦うらしい。
以上。
他のアニメから類推して、ルナがうさぎをしてセーラー戦士たらしめたのだろうとは思っていたが、基本的には本当になにも知らなかったわけで、新鮮な気持ちで楽しむならすこぶるよいコンディションだったと言っていい。(そもそも、事前情報なしで観られる作品というのは、そこまで興味がない場合の方が多いわけで)
で、これを書いている時点で21話まで観たのだが、もっと早くに観ておかなかった自分を心底恨んでいる。
キャラクタの設定(このあたりは「なかよし展」ほかで知ったのだと思う)からして僕は亜美ちゃんが好きそうだなと思っていたのがドンピシャだったとか、タキシード仮面メチャクチャかっこいいなとか、ティアラってどんな形だったっけとか、そういうピンポイントな感想はさておき、オタクの端くれとしては、まずアニメとしての完成度に驚かされた。
技術は進歩してセル画からデジタルになったけれども、いま1本のアニメをここまで丁寧につくることはおそらくできないだろう。
いやまあ、各話の筋書き自体は単純で、悪の組織が(冷静に考えればしょーもない作戦で)市民に危害を加え、なぜかいつも事件の近くにいるセーラー戦士たちが妖魔をこらしめていくという、言ってしまえばありふれたものなのだけれども、それが決して単調にはなっていない。
たぶん、キャラクタの魅力が存分に活かされているというのが要因として大きいのだろうと思っていて、キャラ設定に忠実な脚本とか、かわいく且つ勇ましく見せる作画・演出とがそれを可能にしているような気がする。
ちなみに言っておくと、僕は複雑なストーリーを理解しきれないタチなので、キャラの魅力が光るタイプのアニメの方が好みである。
すでに亜美ちゃん派(暫定)であることは書いたけれども、それはそれとして、ルナがあまりにもかわいいのが衝撃だった。
絵に関しては素人だけれども、あれは猫の動きをきちんと研究した作画ではないかと思う。数年前に作られたリメイク?続編?の「Cristal」は作画の評判がイマイチなようだが、無理もない話である。完全に相手が悪い。
放送されるアニメの本数が激増した現代においては、このころのアニメの作画レベル、およびそれを維持する熱量は、もはやオーパーツになりつつあるのかもしれない。
もうひとつ感心したのは、本作がこの時代――80年代末から90年代初頭にかけて――の「かわいい」を詰め込んでいる(ようにうかがえる)ことであった。ファッションとか色遣いとか、僕にはうまく言語化できないのだが、あの雰囲気はあの時代にしか出せないものだと思う。
ポップカルチャーと称してしまえば簡単なのかもしれないけど、その時代の色彩みたいなものを理解するうえで、本作はけっこう重要なのではないか。(というか、重要であるからこそ、上に書いたような講義・研究が成立するのだ)
僕がもっと早く観ておくべきだったという理由は、まさにこの点にあって、80-90年代のポップカルチャーを「文学として」分析する目を学生時代に養っていれば、僕はもっと大成したのではないかという夢想を抱いているのである。
もっといえば、セーラームーンという作品がどうやって話題作になっていったか――必ずしもアニメ第1話から話題沸騰であったという保証はなく、この点は同時代評に頼るしかない――とか、今でいう「魔法少女」的なストーリーの類型についてとか、本作をとっかかりとして考えてみたいことはいくらでもあげられる。それだけ含蓄に富んだ、アニメ史に残る作品だということは体感的に確かである。
――いや、よくよく考えてみれば、学生時代の僕に、そこまで広く思考の翼を広げるだけの脳があったとは思えない。結句これは、目下放蕩生活を愉しみ、古本の世界に漬かりきった下等遊民なればこそ辛うじて至れる境地であって、してみるに、今の僕は当時の僕より少しだけ賢くなっているようだ。
そうであるとするならば、いまこのタイミングで無料配信の恩恵に浴することができるのは、まったく望外の幸せというほかないのではないか。
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