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セーラームーンを観た

ちょっと間が空いてしまったけれども、『セーラームーン』無印を観終わった。

ボロ泣き、ってほどではないものの、最終決戦にかけてのアツい展開には目を潤ませないわけにはいかなかった。

先に書いておくけれども、僕のように広義のネタバレを嫌う人はこの先を読み進めないことをオススメしたい。俯瞰的に感想を書こうとすると、核心に触れないまでもその周囲を撫でないわけにはいかないので……。


で、この作品を魅力的にしている要因は何かというと、セーラー戦士たちが別にそこまで強いわけじゃないことが大きいのではないか、と個人的には思っている。

変身したところで防御力が上がるわけでもなし、技も基本的にはひとりひとつしか持っていない。ましてそれとて「必殺技」と言えるほど大きな攻撃力を備えているわけじゃない。

そんな中でも健気に協力したりタキシード仮面の力を借りたりしながら頑張る戦士たちの姿は、結句、か弱い/ふつうの女子中学生の輪郭からはみ出してはいないのだ。

そうした等身大の姿が、多くの人を惹きつけるのではないかなぁ、と思ったりする。


ラスボスとの決戦にいたるまでに、もちろん毎話毎話、手下の妖魔との戦いはあるのだけれども、それらはどちらかというと戦士としてのエピソードというより、妖魔に日常を侵された女の子としての側面の方が強調されている印象である。

友達と遊んだり、恋をしたり、家族と団らんしたりといった、なんてことのない日々の描写が積み重ねられているからこそ、戦いに挑む決心の尊さが光るのであり、視聴者の立場からすれば、戦士たちに感情移入しやすくなるのではないか。


というか、前回も書いたけれど、作中でキャラクターが活かされている感じがすごくいい。

うさぎを中心としたセーラー戦士どうしのやりとりや関係性を見てもそれぞれの個性が際立っているし、本作の重要なテーマ(っぽく見える)「恋」についても、各々なりの恋をしているのが実に素敵だ。

無印の終わり方、いろいろと解決したように見せかけておいて、その実ほとんどリセットして次のシリーズへ持ち越し、というのはあんまり好まないやり方だけど、愛すべきキャラクターたちがまだ動き続けてくれるのだという喜びの方が勝る(ああ、この書き方はちょっと気持ち悪いかもしれない)。ともあれ今後の展開には期待が募るばかりである。


他方、物足りなく思った点もいくつかあって、まあ現状で活かされ切っていない設定は今後のシリーズを楽しみにするとしても、無印の最終3話とRの始め4話との合計7話分(ep.44-50)において、主役の三石琴乃が病欠しているというのはすこぶる残念であった。

何も知らずに44話を見た僕が受けた違和感は大きく、続いて45話を見始めるまでに少し休憩を要したくらいである。最近のリメイク作「Cristal」や映画最新作「Eternal」でも三石だけ続投していることもあるし、やはり月野うさぎの声は彼女しかできないのだと痛感した。

尤も、45話以降は、代役の荒木香衣も慣れてきたのか、はたまた僕の耳に馴染んできたのか、案外自然に楽しむことができて幸いだった。また、Rの5話で復帰するというのも、ストーリーのタイミング的にはばっちり当たっているように思う。当時、当事者たちはどんな心境であったのかというのも実は、気になるところである。


改めてWikipediaを見てみると、無印からR、S、SuperS、セーラースターズと連続した5シリーズが、それぞれ間髪をいれずに放送されていたというのは驚きである。

どの段階において、これだけの長期間放送が確定したのかは寡聞にして知らないけれども、つくづく、今なお人々を魅了し続ける影響力を思い知らされた。



こういう風に、好きな作品のいいところを文章に起こそうとしたときに、もっと文学をまじめにやっていればよかったと後悔する。文学的に記述することが必ずしもわかりやすいかというとそうでもないし、純粋に楽しめさえすればそれでよいというのもわかるのだが、細かい視点を持って作品に臨まなければ気づけない魅力があるというのもまた事実であろうとは思う。


配信ペースが1週間に10話というのはなかなかきついけれども、これはなんとしても完走しなければならない作品だと、現状、頑張っている次第。

もう少し生活に余裕があれば、というのはもちろん贅沢な望みである。

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