潔癖、この半生
どこもかしこもマスク不足の様相を呈している。入荷が全くないわけではないのだが、人によっては毎日使うものだし、「不足している」という焦りから買いだめに走る向きも多いのだろう。
それ以外に不足しているものとして、アルコール除菌グッズが挙げられるようだが、これはまだちょっと探せば見つけられる。(ただし手荒れがどうとかまで気を配った「良い」商品は少ないようだ)
この上、もしも無用なデマが重なろうものなら、民衆の混乱は尋常ならざるものとなり、しまいには「豊川信用金庫」の如きパニックが発生するかもしれない。何事も、落ち着いて見定めることが肝要である。
ところで僕は潔癖な性分なので、自宅にも業務用のアルコールスプレーを常備している。
掃除に使うのにはもちろんのこと、外から帰ったときのみならず、家にいるだけでも何かと手指を殺菌し続けているのだ。
いつからこんなに神経質になったのか、今にわからない。
ふだんの生活からして、蛇口を触らなくてはいけないタイプのトイレは利用しないし、電車のつり革を掴む指も決まっているしと、制約が多くて厄介なのだがどうしてもやめられないのだ。
これまでの人生・生活の仕方を振り返ってみると、どうも高校3年くらいから潔癖的になっていたようで、ちょうど「僕」という人格が確立したころに当たるから納得と言えば納得である。
この「潔癖」という性格のやっかいなところは、「気にする部分」と「気にしない部分」との落差が激しい所にあると僕は思っている。
たとえば、実家で暮らしているとき、僕は自分のモノと決まった食器(コップ、箸、皿etc)があって、他の人のを使うのがすごく厭だった。飲食店で使う食器はもちろん問題ないのだが、ともかく自宅ではそういう無意味なこだわりを見せていたのである。
他方で、世間で気にする人が多いという、ペットボトルの回し飲みだとか料理の直箸とかには全く抵抗がない。
「え、潔癖なのにそれはいいの」「いや別に」というやりとりをすることにも慣れたくらいだ。
蓋し、神経質というのは「自分ルール」の厳格さが露呈した性質なのだろう。
理由の如何はともかくとして、自分がこうと決めたモノ、禁止したコトについては一切の妥協を許さないが、ルール外のことに関してはしばしばズボラが過ぎることもあるので、他人から理解がされにくいということだ。
フィリピンに滞在していた時は、どこへ行くにもアルコールを携帯していたが、これは僕が潔癖だからというわけではなくて、フィリピンに生活する人全員がやっている習慣である。
早い話が衛生面のあまりよくない国だからで、確かに街に出ると手洗い場の水が出ないトイレなど、小ぎれいな商業施設でもままある状況だった。
だからといって僕が辛い思いをしていたかというとそうでもなくて、寧ろ手軽に持ち運び用のアルコールが買えることで、日本にいるよりも精神的な安寧を保てていた感さえあるくらいだ。このあたりも潔癖の自家撞着である。
独り暮らしの今となっては自分のルールで家全体を統括できるのが実に心地よい。しかし、乱雑さについては無頓着なのがとことん災いして、床の見える面積が極端に少ないのは悩みどころである(これは潔癖性とは異なるタイプの悩みだ)。
話は戻るが、僕は仕事で常にマスクを着用している。花粉症だからとか喉が乾燥に弱いからとか、いろいろの理由があって春夏秋冬を問わずなので、その消費も年間300枚を超える計算になろう。
自宅のストックはどうにか現在70枚くらいあるので、3月を乗り切るかどうか、という量が手元にあるわけだ。
花粉の猛襲を控え、今から戦々恐々としている方も多いだろうが、どうだろう。さすがにその頃には解消していると思いたいのだが……。
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