勘違いアレコレ
もう随分前の話題になってしまったけど、こんなツイートが僕のところにも回ってきた。
僕はこの箱を見た覚えがないのだけど、確かにパッと見では、頭身の極端なおじさんと思い違いをしても不思議ではない。
ちょっと分析的に見れば、顔のしたに4本の線が伸びていると、それを四肢とみなしがちであるからこういう見間違いが起こるわけで、心理現象で言うところの「パレイドリア」と言ってよさそうだ。
逆三角形に配置された点を顔と見なしがちであるというシミュラクラ現象も関連した錯覚で、クイズ好きとしてはどちらも覚えておきたい単語である(?)。
で、冒頭のツイートの返信を眺めていたら、こんなものに目が留まった。
一瞬、何を言っているのかわからなかったが、次の一瞬で、自分がまたひとつ啓蒙を受けたような心地がした。
何を隠そう、その瞬間まで僕は、このミスドのマークがこいのぼりを立てたものだと思い込んでいたのである。
勘違いに論理的な説明など加えられない。そりゃあ冷静に考えれば、ドーナツ屋とこいのぼりに全く関係がないとわかるし、そもそもミスドはアメリカの企業だ。
でも、企業ロゴなんてまじまじと眺める機会はそうそうなく、視界に入っても横目で見る程度のものだから、自分のライブラリで一番適合したイメージと重ねていたのだろうが……。
スマホ片手に赤面する姿を誰かに見られなかったのは幸いであった。
僕は昔から雑学とかマメ知識とかが好きで、アタマの構造としては発想とか計算よりも知識がベースになっている(と自負している)。にもかかわらず、こういう「よく考えれば当然なんだけど」という勘違いが意外に多くあるから困りものだ。
上に挙げたイメージ的な事例であれば、他人にわざわざ説明することがないから恥は少ないだろうけど、例えば漢字の読み間違いみたいなものになってくると、無知が即バレするから穏やかではない。
いやまあ、実は一番よくあるのは作家の名前に関するものなのだけど、これはまだいい。そもそも読みづらいのが多いわけだし、だいたいは「そう読んでも自然」な方向で間違えるわけだから、あまり糾弾されることはない(とはいえ僕はすごく恥じるのだが)。
大和和紀を「やまとかずき」と読んでいたのもけっこう最近までのことだし、あまり知られていないセンだと、大阪圭吉を「大阪圭吾」、戸板康二を「戸坂康二」と思っていたこともある。ちょうど先週体験したことでは、ずっと「藤沢恒夫」だと思い込んでいた作家が藤澤桓夫だと判明して、ものすごくショックであった。
けれども、それよりもよほど衝撃だったのは、「中二階」が「ちゅうにかい」であるということだった。僕はずいぶん長いこと「なかにかい」だとばかり思っていて、仕事場の後輩ちゃんと家の造りについて話をしているときに「もしかして……」と検索したら案の定間違っていたのだった。
これの恥ずかしいのは、後輩ちゃんが「ちゅうにかい」と言ったのに対して「あれって『なかにかい』って読むんでない?」と、したり顔の訂正を加えてしまった点にある。なまじ物を知っている気になっているから、自分の方が間違っているやもしれぬという発想に至れないのは、ひとえに僕の弱さというほかない。
もっというと、好きな小説のひとつにニコルソン・ベイカーの『中二階』というものがあったうえでの、この体たらくなのだ、まだまだ修行が足りないなぁと思う次第である。
なんの話をしているのかわからなくなった。
ほんとうは読んだ本の話を書こうと思ったのだけど、そちらが想像以上に長く、まとまりに欠くものとなったので没としながら、酒の勢いでどのみち酩酊した文章となってしまった。
この頃は家でひとり飲んでばかりである。そういう時局に生きているからというのではなくて、イレギュラーに規則正しくなった生活で羽を伸ばしているらしい。
積ン読というか、読む本には一生困らないけれども、そろそろ新たに本を購いに出たいものである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?