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夜明け鴉の嘆き

人にはいろいろなタイプがあって、まあその分類じたいゴマンとあるわけだけど、僕は自分のことを「ことばの人間」だと思っている。

ここでいう「ことば」というのは、言語の習得がやけに早いとかいう末端の意味ではなくて、もっと根源的なちからとしての「ことば」だと思っていただきたい。

具体的に、と言われてもなかなか説明がむつかしいのだけれども、僕は何かを理解するときに、それをモデルとして直感的に把握することがあまり得意ではなくて、ことば(文章)に直すことによってようやく自家薬籠中の物にすることができる、というきらいがある。

要するに文系アタマのことを言っているんじゃないか、と思われるかもしれないがそれはちょっと違う。

僕が比較的うまく操れる「ことば」というのは、表現的/表面的な意味での「ことば」でしかない。逆にいうと、たとえば内容の深さであるところの「論理」のちからは僕には備わっていないし、個々の連続であるところの「ストーリー」もモノにはできない。

つまり「ことば」が得意であることは、論文をポンポン書いていくことには直結しえないし、「ストーリー」のちからがなければ小説家にだってなることはできないということになる。


ところで僕の弟は大学院に通っていて、数学を研究している。広義の研究者というわけだ。

僕は爾来、彼のことを頭のいいやつだと思ったことはないけど、彼の「論理」のちからは確かだと思う。

いわゆるサピア=ウォーフ仮説みたいなことをいえば、「論理」というのはある程度言語に根差していると言っていいのだろうけど、論理構造そのものは「ことば」に直さなくてもモデルやチャートとして理解可能なはずだ。

その直感的理解を苦手とするのが僕で、得意なのが弟、というわけ。

よくよく考えてみれば、僕が力不足で大学院進学をあきらめたのも、たどっていけば「論理」のちからが足りていないというところに帰結するのかもしれない。

そういう意味では、弟は実に研究者に向いているのだろう(数学、という学問が向いているかどうかは僕の与り知るところではない)。


いきなりわけのわからん持論を滔々と語り始めたのはなぜかというと、いよいよ先行きの不安が極まりつつあるためである。

4月ともなれば、同期のまじめな連中は社会人4年目やそこらになったりするわけで、他方、一切の職歴を持たないままのうのうと生きてきて、気づけば卒業後丸3年が経とうとしている自分の現状に、さすがの僕でも些かの焦りを感じている。

今さらお勉強を究めようにも、先に述べたように論理的なアレコレがもともと得意でないところに、長いこと真剣に学問をしてこなかったから頭は錆びついていて、これも無理だろう。


いや、まあ、現状の僕でも始められる、空白期間の全く関係ない仕事は2つばかり、あるにはある。が、なにぶん自信喪失の期間が長すぎ、あと一歩を踏み出すことができずにいるのが実際のところだ。

以前ここに書いた文学関連の施設への応募も頓挫したことだし、いよいよ自分に嫌気がさしてくる。

慰みにロックで飲んでいるウィスキーの量が、日に日に増えゆくのも道理というものであろう。

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