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院生の弟と僕と

別に気遣ったとか自粛したとかそういうわけではないのだが、余りの忙しさから2ヶ月ばかり実家に帰ることができていなかった。その間にも色々と僕宛の荷物が届いていて、弟と共有の部屋が横溢されつつあると苦情が入っていたのである。


部屋に入ると、「会ギ中!」と書かれた手作りの立て看板が目についた。

聞けば大学院2年目の彼も多聞に漏れず、オンラインでの会議に追われているとのことで、この日など5時間を会議に費やしたとかいう話であった。

彼の所属する大学は6月末まで立ち入りが禁止されていて、研究室はおろか、図書館も利用することができない(余談ながら、我らが母校は前期いっぱいオンライン授業になることが決定した)。

論文を書くには図書館(ないし研究室の蔵書)を利用しないわけにはいかないわけで、学部生ならともかく、研究が仕事である彼らにとってみればまさに死活問題なのである。

死活問題といえば、彼はTAによって少ない収入を得ているのだが、それもZoomを通して行おうとするとやりづらくてかなわないのだそうだ。いわんや複数校を掛け持ちして授業をしている非常勤の先生方においてをや……。


*  *  *  *

実家に帰ると、弟とは情報の共有をするのが常である。幸か不幸か、僕が文系で彼が理系であるから、アンテナの方向とか視点が微妙に違って、合算するとけっこう広くいろいろな情報を得ることができて面白い。

もちろん、今見ておくべきアニメとか動画とか、そういう下らない話もするのだが、僕の場合は彼に理系分野での質問をぶつけることも多々ある。今回は、たまたまネット上で発見した海外の教育系YouTuberの動画について、わからない数学用語(英単語)があったのでそれについて少し聞いた。


横で聞いていた母に曰く、「うずらはともかく、〈弟〉まで英語がわかるのは意外だ」と。

母からこれを言われたとき、僕と弟とで意見が合致したのは、「英語はできなくてもいいけど、できないと面倒が多いできたほうがいろいろ楽」ということであった。

最先端の研究に触れようと思ったら、世界で最も広く使われている英語を読める方が早く情報をキャッチできるし、ネットでちょっとした調べものをするのでも、わざわざ日本語に訳されたものだけを拾っていかなければならないとしたら随分な手間だろう。

尤も、文法とか一般的な英文について言えば、言語学をやっていた分、僕の方に一日の長がある。今回も彼から「”a”と”the”の区別」について聞かれたので、具体的な例を指摘しつつ簡単に説明しておいた。こういうのはともかく、慣れていくしかないのである。


しかし、彼の知識欲はすごい。以前、「ハーディ・ラマヌジャン数って何?」と聞いて即座に説明してくれたのには驚いた。院生ともなれば、これくらい網羅的に知識を持っていて当然なのかもしれないが、学問の深淵は覗きこむだけで寒気を催す。

そもそも、読書の量と幅についても、弟は僕を圧倒している。雑学的な知識の幅なら僕だって自信はあるけれども、体系的にしっかりと身に着けるのならば、やはり本を読まないと物足りないものだ。理系の本だけでなく、人文学とか日本文学とか幻想文学とか、「そんなのも?」というものまで読了に至っているから、おすすめの本を聞くだけで参考になるのである。

まあ、そんな弟であるからこそ、辛うじて古本趣味に理解を得られているわけで、もしそうでなければ実家に山と積まれた本がある日忽然と消えていても不思議ではないのだ。ありがたい話である。


*  *  *  *

寄ったついでに食事をとらせてもらっていたら、隣に座っていた弟は、スマホのIQテストみたいなパズルで遊んでいた。いわゆるMENSAの入会試験みたいなものだ。

それを見てふと、僕が幼稚園生ぐらいの時に知能テストを受けさせられたことを思い出した。その場で母に聞いてみたら、どうも幼稚園に入る以前のことだったらしい。

で、当然気になるのは、当時はじき出された僕のIQはナンボであったか、という点である。

母の記憶によれば、その数値は130くらいだったようで、悪くないスコアだが、神童とか天才と騒ぎ立てるにはちょっと足りないと思う。

己の生きざまを思えば、なんの能力も身に付けないままのうのうと暮らしてしまっているわけで、結句IQなどクソの役にも立たないわけだし、それなりに頑張っている弟の活動を見ていると、翻っては劣等感が募るばかりである。

だが、これまでにも散々書いたように、楽しくてこの生き方を選んでいる以上、不満は一切ない。ただ弟には、どうにかその道を究めてもらいたいと密かに応援している次第である。

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