なんだかんだと1年
独り暮らしを始めて1年が経った。
そもそも実家を出た理由として一番大きなところが、本を置くスペースがなくなったためだというのだから始末に負えない。一般に「独り暮らしを始める」と言えば、独立≒自立した大人への一歩を示すことが多いように思うし、現に不動産屋に提出する書類の動機欄にも「独立」と書いた。
にもかかわらず、この1年で僕がしてきたことといえば、いかに「生活」なるものをミニマムに押し込め、趣味に最大限の時間を充てられるかを追求したくらいのものである。
本を買う趣味については、場所が格段にとれるようになったために収納の懸念はなくなり、ある意味ではストレスなしに好きなだけ購えるようになったのが嬉しい(経済的な問題はもちろん別だ)。
生活についても、家事における力の入れ方とか頻度とか、日用品や食品はどこで何をどれだけ買うかとか、そうしたアレコレはだいぶ最適化が図られてきたように思う。
しかし、仮にも大人として、たとえばキャリアアップにつながるスキルを習得したりだとか、社会復帰を果たすべく方策を模索したりとかいう、真人間に成るための努力は、一切することができなかった。
生活の部分にリソースを割き過ぎて余裕がなかったというのもあるが、結句、深層心理的にもそうした意志がないのだなぁと痛感する次第である。
また、改めて認識したこととして、僕は人と一緒に暮らすことにつくづく向いていないのだということがある。
そもそもが夜中の仕事をしている以上、カタギの人間が活動している昼間に睡眠をとらなければいけないわけで、実家にいる間はそれで寝にくい思いをし続けていた。
新居に越して、寝室を真っ暗に保つことができるというのはやはり健康的な環境だ。尤も、窓どころか雨戸すら1度も開けたことがないというのは、周囲の住民からしたら異様な住人と映るかもしれない(まあ合ってはいる)が、下等遊民に近所の評判など蛙の面に水である。
よく、結婚なりなんなりのかたちで誰かと同居する喜びのひとつとして、しばしば「帰ってきたら家に明かりがついている」みたいな状況が語られる気がするけど、僕にはそれが苦痛で仕方がない。
帰ってきたら自分のペースで風呂に入って、読書なりPCなり自分の好きなことを好きなだけやって、好きな時間に寝たい。そういう傍若無人ぶりは年々強まっているように思えばこそ、独り暮らしを始めたのは賢明な選択であったと言える。
ところで最近読んだエッセイに書いてあって思い出したのだが、中学生の頃、自分がやりたいことを一通りやったら最短何歳で死んだら悔いが残らないか、というのを試算したことがある。
いま、その「期限」にかなり近づいている身としても、あながち悪くない推測だと思えるのだから、実にくだらない人生である。
立派に生きようと思わないからこそ、独り楽しく暮らすことに全力を注ぐべきであろうというのが、目下僕の頭にある理想的な生き方である。
なんのその どうで死ぬ身の 一踊り (藤澤清造)
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