ライナスの毛布
つい先日、僕は1本のボールペンをなくした。
ゼブラから出された「Penpod(ペンポッド)」という商品で、キーホルダーであるという持ち運びの簡便さや、筆記時にギリギリ用をなすサイズ感、また替え芯が他の規格と共有である点など、優れた特徴をいくつも備えたボールペンであった。
文具マニアの間でも評価は高く、雑誌やブログなど、さまざまな媒体で紹介されては、着実にファンを増やしていったように見受けられる。
しかし、ある時卒然、ゼブラはこの商品を廃盤にしてしまった。
理由のほどは定かではないが、ともあれ文具マニアたちはひどく残念がった。
このペンの本体部分は、バネを押し込みながら回すと外れる仕掛けであったから実に紛失しやすく、そのたびに買い替えが余儀なくされていたためだ。
ゼブラもゼブラで後釜となる商品(ワークダッシュ)は発売したものの、ペンポッドユーザーからの評判は惨憺たるもので、イマイチ流行らないまま売り場から消え去ってしまった印象である。
廃盤を知ったペンポッド愛好家たちは在庫を買い占めるべく、文具屋という文具屋を奔走したとのことだが、一方の僕はというと、手元の鍵束に装着した1本で満足していた。
まだ高校生だったこともあって収集欲が強くなく、「同じペンは2本も3本もいらないよね」という、今からすれば誠に愚かな、しかし世間的には至極真っ当な思考を働かせていたのである。
そんな事情を知りつつ、こんにちまで10年近く携帯してきたペンポッドを、ついについに紛失してしまったのだ。
出がけに鍵束を手に取り、ペン部分がないことに気づいた僕の狼狽ときたら、吾がことながら尋常ではなかった。
すでに夜は更けていたので懐中電灯片手に玄関周りを捜索するも発見できず、諦めたのち5分遅刻で仕事場に行ったはいいが、まったく業務に集中できなかった。
ところで、心理学の世界には「ライナスの毛布」と呼ばれる症状が存在する。
名前はもちろんシュルツの「ピーナッツ」の登場人物、ライナス・ヴァン・ペルトから来ていて、作中で彼が常に青い毛布を持ち歩いているように、ある特定のアイテムを肌身離さず持ち歩くことによって安心感を得る状態のことを指す。
子供のころ、どんなに汚くすり減っていても何故だかお気に入りだったヌイグルミのひとつやふたつ、けっこう多くの人があっただろうけど、まああれのことと思ってもらえたらいい。
僕の場合、(幼少期は別として)今現在、それがあることによって安心感を云々するようなモノは特にない。
が、収集癖の強い性分が影響しているのかわからないが、身の回りのものが不意に無くなってしまうと、恐ろしい喪失感に苛まれてしまう。
今回のペンのことなら、ずっと持ち歩いてきたものだし、愛着くらいあるだろうと理解されるかもしれないけど、何の気なしに百均で購めたモノでも、又試供品として配られたような粗品でも、一度使った限りは落としたり棄てたりすることに大きな抵抗を感じるのだ。
以前までは日々の買い物で受け取るレシート1枚であっても、ゆめゆめ捨てることができないほどで、そのころに比べれば随分マシになったが、ともあれモノに執着する気質はなかなか捨てきれずにいるらしい。
で、なくして数日間は自分の愚かさと鈍さにあきれ果てて、己を責め続け鬱屈した生活を送っていたのだが、ふと、アパートの共用部分にあるポストの上に目をやると、なんと落としたペンが丁寧に載せてあったのである。
写真をご覧いただければわかると思うが、これがペン部分単体で落ちていたならば、壊れた乃至キャップを失ったボールペンと見なすのが自然で、大事に拾っといてあげようとは考えにくい。根が薄情な僕だったら、冷酷にもゴミ送りにしてしまうかもしれない。そのくらいちゃっちい部品なのだ。
それをわざわざ安全なところに置いておいてくれる御仁がこのアパートにあろうとは、よもやその方が文具マニアで、落とした僕の心中を察したなんてことはあるまいが、全く感謝の念に堪えない。
久々に人の厚意に触れた気のする、1月の終わりであった。
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