ビニールカーテンの向こう
この流行感冒の世にあって、接客業に携わる人々に対し、客はもっと労いの精神を見せるべきだという風潮が強まりつつあるらしい。
(僕だって潮目を読むのにYouTuberくらい参照するのだ)
謝罪と違い、感謝はいくらしても余分ではないという意味において、これは賞賛すべき流れである。いま矢面に立たされているのが、小売業でお客さんと接している人たちであることは確かだし、そうした人たちはもっともっと感謝されてもよいだろう。
ただ、くだんの接客業に従事している僕としては、どうしても今さら感が否めないのであった。
繰り返すが、感謝をすることはいいことだ。どんな小さなことでも「ありがとね」と言える人は無条件に好感を持てると思うし、「いつもありがとう、お疲れ様」という一言で報われる苦労だってあるはずだ。
僕が引っかかるのは、それって別にいまの緊急事態に限った話じゃなくない? という点である。
ぶっちゃけて言うと、いまネットニュースなんかでも非難されているようなヤバい客は、ふだんからそこかしこを跋扈している。今回はその原因がたまたま世界的に猛威を振るっているウィルスだったというだけの話であって、量はともかく、店員が抱える苦労の質でいえば常時とさして変わらないと思う。
まあマスクが不足しているとかそういう問題は一旦措くとして、こういう軋轢が生じる原因というのは、客が偉そうにし過ぎていることと、もうひとつ、店が下手に出過ぎているということが言えるだろう。
この間少し触れたが、僕は仕事をするときのスタンスとして、いつも「こちらが品物を提供してあげている」という観点を心の片隅に配している。
もちろん、商売である以上はお客さんに「買ってもらう」ことが大事だし、それについては然るべき感謝の意を表さねばならない。
けれども、あまりに横柄な態度をとる客に対して、尚もヘコヘコする謂れなど毛頭ないわけで、「ではよそに行ってもらえますか」と切り捨てることに支障があるとは思えない。
――いや、実際にそれを言ってしまっては無用な諍いを生むばかりだし、言い方の問題だってあるわけだけれども、毅然とした態度をとるべきところでとらない穏健派の店でうっかり働いてしまうと、ネットでしばし見られるような鬱の店員さんが生まれることになるのではないか。(余談ながら、僕の仕事場のボスはそのへんをうまくやってのける人だから大いに救われている)
有名な話として、「お客様は神様です」という言葉を広めたのは「世界の国からこんにちは」でおなじみ三波春夫である。
真意がどうとかいうことはとりあえず措いといて、ともかくここでもっと強く意識されるべきだと思うのは、店と客との関係というものが、店側は物を買ってもらい、客側は品物を譲ってもらっている、Win-Winなものだということである。
これがねじれて、店は物を売ってやっている、客は物を買ってやっている、という風にお互いの利己心が表面化すると、直ちに衝突が生じるわけだが、店員の尊厳を守るためには(あくまで潜在的に)「売ってあげている」という意識があってもよいのではないだろうか。(これはいわゆる「やりがい」につながる視点たりうるかもしれない)
しかしまあ、そんなことを言って聞くような手合いならばハナから店員に高圧的な態度などとったりしないわけで。例えばお釣りを受け取るときに「どうも」も言わなければ会釈もしない、みたいな、そういう想像力のない人間は世の中にたくさんいるのだ。
実際のところ、僕も気を遣っているつもりだけれども、周りからみたら案外イヤな客なのかもしれないという不安はある。
結句、変えようがない個々人の性格に対しては、あくまで個人として付き合いを弁えてゆくしかないのである。
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