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この頃の古本

日常ネタでいろいろ書きたいこともなくはないのだけれども、全体のバランスを考えて結局は本の話。

7月は金額的にいうと過去最大級に本を買っていた。ちょっとぼかしていうと、家賃の倍額近く……。

買っちまったものはしょうがないし、生活も逼迫しているわけではないけれど、さすがにやり過ぎたかなという気もしている。


で、先月買った本の中にこんなものがある。

夏目漱石『吾輩は猫である』の、一番最初の大きい版ではなく、そのあとに出版された「縮刷版」だ。
先日の古書展で1500円だった。

函のヒラに書かれた猫もかわいいし、なんといっても革装というのは高級感があって嬉しい。

写真を見るとわかるとおり、この版の小口と天地は、張り出した表紙の革に覆われている。「耳」なんて呼ばれるけども、これがすごく欠損しやすい。

読むときに邪魔になる上に、なまじ函が付いているものだから下手に出し入れすると削れていってしまうのだろう。物によっては、ハサミかなんかでキレイに切り取られていたりするくらいだ。

今回入手したこれは、函に大きなイタミもなく、耳もほとんど完全に残っているから、保存状態としてはかなりよいものだった。

大正8年ということは、1919年の発行
ちょうど100年前の、状態に恵まれた一品をこうして手にできるというのは、古書蒐集家にとってこの上ない喜びである。


ところでこの縮刷版、初版は明治44(1911)年発行で、驚くことに昭和5(1930)年の129版まで同じ体裁のまま重版を重ねている。

ただ細かい話をすると、版によって厚さや高さが違うことが知られているので、版違いで集めたくなってしまうのがマニアの性である。

かく言う僕も、猫の縮刷は6冊目(函付きは4冊目)。


それから、他に面白いと思った収穫はこれ。

詩人・中原中也が生前したためた手紙を集めた本で、著者かつ手紙の宛先である安原喜弘は、中也の親友として知られている。
詩人はそこまで熱心に調べていないけれども、中也のひととなりを知ろうと思ったら重要な本なのだろう。

100均の店頭台から安く拾い上げた本だが、ちらと見たら署名が入っていた。

中也の署名ならともかく友人のってどうなの、と思われるかもしれないけれども、こういうディープなのこそ探すと見つからない(というか探してる人がいない)し、僕にとっては嬉しい掘り出し物である。

こういうわけのわからない収集ばかりしているから、家人に白眼視されてしまうのだ。

未整理の古本が机上に増えゆく、夏の盛りである。

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