見出し画像

正しい日本語はどこにあるか

僕は大学で国語学を勉強し、卒業後は海外で日本語教育のアシスタントをしていた。
その「元・日本語屋」としての矜持、というわけではないのだが、自分が使う日本語については、ふだんからできるだけ正しいものにしようと努めている。

一番わかりやすい例で言うと、よく日本語の乱れとしてやり玉に挙げられる「ら抜き言葉」というものがあるけれども、僕は書き言葉でも話し言葉でも使わない。
というか、使わなくて話せるように訓練したのだ。

可能の形については、日本語教育的には以下のように教えられることが多い。

うVerb:「ます」とその直前の母音を取って「eます」をつける
    e.g.走ります→走れます
るVerb:「ます」を取って「られます」をつける
    e.g.食べます→食べられます

こういう説明をするときに、教える立場にある人間、ましてネイティブジャパニーズが活用に混乱している様子を教室で見せるわけにはいかないというわけだ。

「食べれる」「答えれる」「受けれる」なんかは耳障りに感じるのに、「浴びれる」「見れる」「着れる」あたりは比較的自然に聞こえてしまうのが不思議だが(僕だけ?)、ともかく今は瞬時に判定して「正しく」使うことができるようになっている。
(否定形にしたときに、前の音がア段音になるかそれ以外になるかで判断するのが一番わかりやすい。「走ない」→「走れる」、「見()ない」→「見れる」、「食る」→「食べれる」)


ところで、国語学を勉強したことのある人にとっては常識だと思うが、この「ら抜き言葉」は、日本語の時代的変化として見ると実は妥当な形であったりする。
というのも、昔は五段活用動詞の可能形も「行かれる」「歩かれる」という形だったのだ。今でも僕の祖父母の世代あたりでは「近いから歩いて行かれると思うよ」なんて言ったりするけれども、それが次第に「行ける」「歩ける」という形に変わっていったわけで、これと同様の変化が二段活用動詞にも起きていると考えれば、別に「乱れ」といって口やかましく糾弾するほどのものではないと思う。
この変化は、尊敬と可能とを別々の形で表すことができる(「行ける」:可能、「行かれる」:尊敬)という意味において有能な分別だとも思うのだけど、ここでは深追いしない。


こういう風に、「実際使われている形」と「規範とされている形」と「学問的な妥当性」とは、それぞれ微妙にズレていることがままあって、根が潔癖な僕はけっこう頻繁に悩まされている。

漢字の読みに関する例を挙げると「早急」という単語、社会人ならずとも比較的よく使う言葉だが、「そうきゅう」と読む向きが多数なのではないだろうか。
本来は「さっきゅう」と読むとされる語で、僕もそれに倣って読んでいるのだけど、稀に口頭で「さっきゅうに」と言うと相手の表情に一瞬疑問符が漂うことがある。通じないのであればいくら「正しい」読み方でも無意味だ。

ほかにも、「刺客」は「せっかく」と読みたいし、「独擅場」は「どくせんじょう」と読みたい(そもそも表記からして「独場」で「」ですらない)のだけど、まず間違いなく通じないと思われるので、おとなしく「しかく」「どくだんじょう(独場)」と読むようにしている。


また、語の用法についても悩むところは多くて、例えば「確信犯」という言葉。よく使われるのは「悪いことだと知っていながら罪を犯すさま・犯す人」というような意味だろうが、本来は「ある思想・信念に基づいて成される犯罪」のことで、言い換えると政治犯とか思想犯を指した語なのだ。
この辺は「ニコニコ大百科」の解説が意外にわかりやすいので参照されたい。

正しい言い方にすると「故意犯」あたりが当てはまるのだろうけど、あまり一般的な言い方ではない気がしてしまい、ちょっと引っかかるものを感じつつも「確信犯」を使い続けているのが現状だ。


要するに、本来は正しくないと知っていながらも、伝わりにくいから一般的な言い方に甘んじているということなのだが、これで万一「あ、その日本語間違ってるよ」なんて指摘された日には、悔しさで泣き崩れてしまうかもしれない。

まあ個人的には、ことばが道具である以上、ひとまず伝わりさえすればいいのだと思う。
もちろんアナウンサーとか日本語教師とかはそういうわけにいかない側面もあるだろうが、これまでの歴史的変遷を抜きにして刹那的な「正しさ」を語るなんて愚の骨頂だ、と言っても決して過言ではあるまい。


なんていろいろ書いたけれども、僕だってまだまだ勘違いして使っている言葉はたくさんある。人に誇れるような専門的知識などハナから備わっていないし、日々不勉強を恥じながら学んでいる次第だ。
けれども、なんのことはない。僕こと下等なる遊民は、そうやって新しい知見を得ることをこそ、無上の楽しみとして生きているのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?