【23日の誕生日まで昔の作品を上げていくのでよかったら投げ銭ください企画】その10:「やってはいけないこと」他1編
やってはいけないこと(2006年)
砂糖を入れたコーヒーは、お茶ともココアとも違う、たぷたぷした味がする。こげ茶色の液体は、もうしたを過ぎてのどを通って、胃のなかに入っているはずなのに、まだ口のなかに残っていてぴちゃぴちゃ音を立てる、そんな錯覚を私に抱かせる。
砂糖の入れすぎよ。友人がたしなめる。そんな三つも四つも入れて。
「ほんの五つじゃないの」
シュガーポットから、見るからに大きな塊を取り出して自分のカップに落とす。甘くするほど黒くなっていくコーヒーをスプーンでかき混ぜながら、私は目の前の友人に確認した。
「それで、彼とは別れるの?」わかんない、彼女はあいまいに首を振った。大人びた口調でたしなめたかと思えば、幼子のように甘えた声で途方にくれる、気分屋の友人を私はまだ一応、好きなままでいる。
「まだ好きなんでしょう? めったに会えなくても」
友人はためらいがちに、あの人はそこにいるだけで私を幸福にするの、と告げた。目を伏せて、私から視線をそらして、それでも私には何もあげるものがないと早口で呟く。
「体以外は」
残酷なことをあえて言ってみて、私はすぐに後悔した。友人の恋人には法が認めた相手がいる。おかげで形があるものもないものも、彼に一切残すことはできないのだと気づいたのは、付き合いが始まって一年近くたった、ごく最近のことだ。彼の勤務時間は不規則で、ホテルから会社に向かうことも多かった。部屋に遊びに行きたいとねだったとき、会社の目があるから、と断られた時点で気づくべきだったのかもしれない。
それみたいなの。ぬるくなったコーヒーを飲んでいると、友人がこちらを向いて告げた。甘やかされるほど、優しくされるほど、私のなかが黒くなっていくの。
「知ってる」
私が言ってやると、鏡に映った古くからの友人は、ブラックコーヒーを飲んだ後のような笑いを浮かべた。
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ひと飼い(2007年)
わたくしはあるじ様に飼われているものでございます。あるじ様のお仕事場のすぐ近く、夜の町とよばれるところで、あるじ様はあざだらけのわたくしをお拾いになったのでございます。あるじ様はわたくしをお部屋に置いてくださり、それはそれは大事にしてくださいます。わたくしの衣はすべて〝ぶらんどもの〟で、あるじ様の香水の匂いがいたします。あるじ様は毎日、それはそれはたくさんの方とお会いになるので、わたくしにはあるじ様のお好きな匂いだけでいてほしいそうなのでございます。
「他のにおいをつけてはいけないよ」わたくしを抱きしめながらあるじ様はおっしゃいます。「少しでもおかしなにおいがしたら、すぐにわかるのだからね」あるじ様はわたくしの頬に温かい唇をつけると、わたくしの細い髪に指を差し入れて、くしゃくしゃと撫でまわしてくださるのでございます。あるじ様の、硬くて細い指先がわたくしはとても好きでございます。
あるじ様が入浴なさっている間に、わたくしは〝うんどう〟の支度をいたします。あるじ様は頭をたくさん使うお仕事をなさっているので、忙しいときほど〝ばか〟にならなければならないのだそうでございます。君はそのためだけにいればいい、と初めてわたくしを抱いたときにおっしゃられました。あるじ様のお好きな、ぶどう酒と石鹸と香水の匂いが、あのときからわたくしの肌にすり込まれていったのでございます。
入浴を終えられたあるじ様は、ぶどう酒を唇にはこびながらわたくしをお手招きなさいます。そして時折わたくしの頤をとらえ、口うつしでぶどう酒を飲ませてくださるのでございます。熱く濡れたあるじ様の舌とともにぶどう酒がわたくしの内へ注がれ、香水と石鹸の匂いがするあるじ様の細い指が、衣の下からわたくしの剥き出しの肌をなぞられると、わたくしはいつもあるじ様のやわらかな胸へ、唇を落とさずにはいられなくなってくるのでございました。
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30歳になる誕生日を前に、これまでどんなものを書いてきたのか振り返るべく、9/1から毎日1~2作、全23作品を公開していくことにしました(私用により12~15日はお休みです)。
最近は身内小説にかかりきりだったので古いものばかりですが、少しでもお楽しみいただければ幸いです。
また、ここでいただいた投げ銭は、自身への誕生日プレゼントの購入費として使わせていただきます。祝っていただけると嬉しいです。
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