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クリエイティヴで、世界を変える

最近、さまざまな場所で
クリエイターとは何か?と
聞かれることがあります。
デザインの会社に入ったらクリエイター?
映画関係の職についたらクリエイター?
なんて、ふんわりみんな思っていますが、
僕は、何かを「変えたい」と思って、そのチカラを活かして世の中の問題と向き合う人がクリエイターなのでは?と答えています。

デザインやファッションの会社にいても、毎日なんとなく過ごしていたり、保身や安定をベースに考えている人は、サラリーマン。
逆に通常サラリーマンと呼ばれる人たちや
学生、主婦、先生、スポーツ選手、どんなジャンルの人でも、何かを「変えたい」と行動できる人はクリエイターなのではないか、と思います。
それぞれの考え方なので、どちらがいいとか悪いとかではないですが、「クリエイター」を定義するなら、、、の
僕の考えです。

2年前、突然コロナが襲ってきて、世界は一変しました。行動範囲が狭まったとかマスクをしなきゃとか、海外に行けないとか、飲食店やさまざまな仕事に影響がでた、コミュニケーションが難しくなった、とかだけじゃなく、何かもっと大切なものを失った気がしています。

肌間ですが、デザイン会社という形態は、もうこの先難しいのかなと感じています。
コロナ前を思い出してみると、毎日スタッフと密なコミュニケーションをし、良くも悪くも、
ベストなクリエイティヴができるまで毎日必死で戦っていました。
正直、この仕事についた時から、土日や時間も関係なく、納得いくまでやり切る。それが悪烈な環境を生んでいたとしても、クリエイティヴには素直に正面から向き合ってきたつもりだし、完成した時のチームとしての達成感みたいなものがあった。
その、成功体験や無茶苦茶になって働くという記憶が薄れていって、忘れてしまった2年間のような気がします。
「これは、私の仕事ですか?」
「代休、残業代もらえるのでしょうか?」
「約束とちがいます」
「それは出来ません」
と、言われることが増え、無茶をすることに疑問を抱かれて仕事がすすむようになり、
僕も、同じ方向を向けないことが増え、イライラしたり、悩んだり。
「頑張って乗り切ろうよ」
「もっと勉強しようよ」
が、この2年で徐々に言えなくなりました。
もちろんこの無茶なやり方がまかり通るのは
正解ではないです。
その間を模索してやってきたのですが、
「頑張ってここまで上がってこい!」という「修行」的は毎日よりも、その人らしい毎日を送ってもらうことが「正解」になってきました。

さまざまな企業が、社会の移り変わりのなかで
DXや、組織改変に悩む中、デザイン会社も、もう昔のような働き方はできないのでは?
と考えるようになりました。過去の頑張るで「乗り切る」も、いい働き方とは言えませんが、通常の仕事時間以外のパワーを出せないで、
新しいクリエイティヴや、他の人とは違う、人の心を動かせる仕事なんてことは、どうすればできるのでしょうか?

正直、その答えが出せないという毎日を今も過ごしています。
その答えがわからない以上は、今はもう、デザイン会社は解散するほかないのかなと。

昨日、
浜松の春華堂さん(うなぎパイで有名な会社です)に誘ってもらい、浜松のスイーツバンクという施設でワークショップを4日間やりました。
子供向け2回。
大人向け4回。
「自分のロゴを作ろう」と題し
ロゴを作るという課題にとりくんでもらいながら、
デザイン会社の仕事って何?
クリエイティヴの役割って何?
など話しました。
参加してくれている人の年代は
5歳から50代までさまざま。
職業も、デザインをやっている人はほとんどいませんでした。大工さんや、先生、事務、学生などなど。ロゴを作るということをやったことない人ばかりが集まって、自分のアイコンになるようなロゴを作り。僕も自分で参加し、仕事で依頼される以外のロゴづくりをKISS,TOKYO を作った時以来ひさびさに楽しみました。
「ん?」
なんか、仕事とはちがって楽しい、、!
何かを変えたい、、、そんなロゴ作ってみたい、、、!ワークショップをやりながら、自然とそんな気持ちになっていました。
5年前、KISS,TOKYO を発想した時は、
何かI♡NYのような、東京を代表するようなマークを作ってみたいと思い、衝動的に作りました。
その時の気持ちは、
確かに、何かを「変えたい」でした。

自分のクリエイターとしてのネクストステップだったのか、、、?
東京という街をもっと面白くしたいという気持ちだったのか、、、?
通常業務とは時間外で、さまざまな理解者をつのり、グッズや宣伝物をつくりPRしました。
今では、東京のさまざまな場所で目にするようになり、渋谷に、大きなベンチのオブジェまで出来ました。
KISS,TOKYO は、当時依頼された仕事を打ち返すしか発想のなかった僕の、
小さな「クリエイター」としての一歩だったのかもしれません。
ワークショップをやりながらそんな事を考えていました。ワークショップの最後に、デザインをすこしでも「面白そう」と感じてもらうために、
書体「Helvetica」の話をしました。
Helveticaとは、世界でもっとも愛され使われている書体です。
ニューヨークの地下鉄のサインや、TOYOTA、Panasonicなどのロゴ、さまざまな「デザイン」にもっとも使われています。
何に持ってきても美しいたたずまいになり、グラフィックデザイナーは、何万もある書体から、自然にHelveticaを選んでしまいます。
なせ、そこまで世界に愛される書体になったのか?
ルーツをさぐると答えがありました。
世界を「変えたい」という意志がそこにあったからです。
Helveticaは=スイスという意味です。国の名前です。
1800年代に一つになったスイスは、ヘルベチア共和国と呼ばれていました。
その後、1957年、書体Helveticaが誕生します。
Helveticaは、商業だけでなくスイスの意思統一、国政にも使われました。スイスみんなの気持ちを一つにするために使われた書体なのです。
すごいよね😂
日本の政治のなかでそんな考えが存在するでしょうか!?その志の高さによって生み出され作られたからこそその完璧なフォルムは、世界中に受け継がれていくのです。

クリエイティヴが世界を変える。
まさにそんな書体です。

れもんらいふを立ち上げて10年が経ち、
年間100案件近い仕事とむきあい、必死でれもんらいふと向き合う中で、ここ最近、
好きなことで食べていければいい、
という気持ちが徐々に変わってきました。
桑田佳祐さんと仕事をしたい!
映画をつくりたい!
れもんらいふを有名にしたい!
よりも気になることが生まれてきました。

今の日本は「変」だなと😂
政治とメディアの裏側を知れば知るほど「変」です。統一教会の話もですが、コロナが猛威をふるい、テレビメディアや政治の取り組みが「変」と感じることが増えました。
選挙すらみんなの気持ちをコントロールできる日本で、どうやったらこの変な日本は変わるの?
なんて絶望を感じつつも、希望もすこし感じています。

インターネットが普及し、情報コントロールがきかない世の中になってきたことです。
先日、電通の高橋治之さんが逮捕されたことで、権力に「文句言えない」時代が変わりつつある気がしています。
前回、noteに、電通の売上をサイバーエージェントが抜いたという話をしましたが、

「グラフィックデザインの時代は終わった」

メディアの主が、テレビからインターネットに変わり、政治×電通×テレビという権力が情報を操作できる1強時代も、終わっていくのではないかと。

クリエイティヴは、社会を変えることができる。
インターネットの社会が、そう思わせてくれています。僕も何か社会を「変えたい」そんな気持ちが芽生えてきて、クリエイターになった意味や、生まれてきた意味さえ感じ始めています。

ワークショップに話は戻りますが
Helveticaと、KISS,TOKYO の話のなかで
こんなロゴを作ってみました。

RUSSIAUKRAINE SMILE MARK


RUSSIAUKRAINE SMILE MARKです。

スマイルマークの笑顔の口が
RUSSIAUKRAINEの文字でできています。
2つの国の気持ちが1つになるとき、この笑顔が取り戻せるのでは?
また、何かを達成した時にダルマの目を埋めるように、片方の目は描かれていません。
この目をロシアとウクライナの人々が平和になり両目を埋める日が来た時、本当の笑顔になれるのではないか?
という意味が込められています。
僕にお金があれば、今すぐロシアとウクライナの上空から、このマークのシールをばら撒き、みんなの手に届けたい。
爆弾を降らせるのではなく、このスマイルマークシールを降らせたい。
次の朝、これがインターネットのニュースに広がったら、本当に戦争を終わらせることができるかも知れない。
なんて、夢かも知れませんが、
クリエイティヴには、世界を「変える」力があると信じて生きていきたい。
そう思うのです。

そう信じて、
今日も悩みながらも
新しいことに取り組みます。

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