デザインと、東京オリンピックと、僕たちの未来
今日、僕たちの
静かな街に東京オリンピックがやってくる。
今日は、富士山のふもとから見る事になる。
オリンピックスタジアムから遠く離れて
思うこと。
ザハの作ったCGを見た時から
僕が描くオリンピックが始まった気がした。
さらに昔、1964年、東京オリンピックがあった。
僕が生まれる11年も前の話。
日本は、世界に日本の底力、
出場選手だけでなく、
クリエイティブにおいても、あの
亀倉雄策のポスター、原弘さんによる書体の統一、ピクトグラム、丹下健三による代々木第一体育館は、今でも東京の街に風格をもたらすモダニズム建築のシンボルだ。
市川崑監督によるドキュメンタリー。
過去のオリンピックとは格の違う世界観をつくり、近代オリンピックへと変わっていく分岐点となるオリンピックだった。
その東京オリンピックがまた僕たちの渋谷にやってくる。
ザハの競技場は、
ベラボーな宇宙船のようなフォルムも
旧オリンピックを超える、今後100年東京の街を象徴する建築物だ。
千駄ヶ谷のまちづくり、車と人の暮らす場所のレイヤード、僕は興奮した、子供たちを遊ばせやすい施設、見たことない建造物、ついに2020年版、オリンピックのクリエイティブ革命がはじまった、、、と思った。
スタートは、この問題。
ワイドショーで毎日毎日総工費の問題が
スタジアムの失脚へと誘っていく、、、
総工費は、デザインが問題ではない
ゼネコンが提示した額、建築の工法を見直せばよかったのでは、、、など、
twitterなどで裏も見えてくる。
想像していた東京オリンピックは何かがおかしい。
さらに、
佐野研二郎さんのデザインしたロゴが消えた。
デザインをやる立場として、
初めてグラフィックデザインが注目されて
日本中に、世界中にデザインのパワー、意味、その大切さをよに知らしめる日が来たと思った次の日だった、、、
なんとあのデザインの集大成は、
パクリ問題へと話しはすり変わり
僕たちが信じてきた
東京アートディレクターズクラブ
日本グラフィックデザイナー協会の裏側、
誰も知らなかったデザインの業界が
突然悪者として世の中に溢れた。
これは、
どんな業界よりも、おごりの体制、
PRになんの努力もしなかったことへのツケなのか、、、、
憧れた東京オリンピックがどんどん曇っていく。
そして2020年、
開幕の年、コロナがやってきた。
不安が世界中に広がっていく。
仕事が2ヶ月止まった。
いつかおさまるだろうと考えていたコロナ。
撮影ができなくなり、家からでれなくなった。
僕のやりたい事もできなくなるのか?
夢は見れないのか、子供たちの未来はどうなるのか、、、、
twitter、SNS、ネットが荒れる。
テレビの情報、政府の対応すべてが信じられなくなっていく。
対応力の無さ、引っ張る力の無さ、嘘、矛盾、すべてが渦をまいて世の中の疑問、不満になっていく。
数年前、こんな日本を想像しただろうか。
桑田佳祐さんがテーマ曲に決まったころは、
Smile、まだ希望があった。
この祭典を機に、日本はもう一度輝いてほしかった。
デザイン、クリエイティブのすべてを結集して世界に知らしめてほしかった。
僕は、クリエイターとして何も東京オリンピックには絡んでいない。
テリー伊藤さんが、れもんらいふデザイン塾で
「若い君たちの時代は、2021年からだ!
東京オリンピックは、おじさんたちに任せて、今まで日本を築いてきたクリエイターたちのご褒美だ。だから君たちは、次の時代を生きるのだ!」と叫んでくれた。
この気持ちで東京オリンピックを楽しもうと思っていたのに、日本ってこんなクリエイティブだったの?
アスリートの祭典だからと言ったら
それをシンプルに楽しめばいいのかもしれない。
ただ、僕は亀倉雄策のデザインした
東京オリンピックのポスターが、
マイトップオブデザイン、
僕の人生を変えたデザインだ。
28歳で夢を持って東京に来た日、
浅草の6畳一間のアパートに飾っていた
大切なインスピレーションだった。
東京オリンピックは、デザインの未来でもあった。
そして、、、
椎名林檎さんが降りた。
佐々木宏さんが失脚した。
MIKIKOさんが破られた。
森喜朗さんが外された。
小山田圭吾さんに間違いがあった。
小林賢太郎さんまで、昨日問題が起きて解任。
そしてそれをとことんまで追い詰めていく
世論。
どこへ行くのだろうこのオリンピックは。
どこへ行くのだろう日本の未来は。
千駄ヶ谷の街、
東京体育館から子供たちの声がきえて2年。
もう一度、笑顔と明るい未来を。
僕たちが切り開いていかなくてはいけない。
今日、
すぐそこの競技場で、こんなに近くて遠い心を、
開会式、アスリートの戦いが変えてくれるのか。
誇らしい建物になってくれるだろうか。
見たくないものになってしまうのか。
どちらにしても、
僕の人生、最初で最後の
東京オリンピックが始まる。
未来は、
やはり
自分たちで変えていくしかない。
#なんかやろうね2021
から
#変えていこう2022
へ。
田中知之さん、
僕たちも続くよ。
みんなで頑張ろうよ。