宇多田ヒカル「BADモード」でわかった!もっとナチュラルで行こう
宇多田ヒカルのニューアルバム「BADモード」は、
英語とカタカナのタイトルで、まさに彼女の境遇と個性を反映したハイブリッドな作品だと思う。
UKやUSのチャートでもTOP10に入るなど、もはや日本語や英語は関係ない、まさに「音楽は世界共通」とはこの事だと思う。
僕は英語を話せる日本人を、
その事で「すごい」と思った事はない。
それは、話せるも話せないも個性ととらえているから。
ほとんどの英語を話せる人は、留学ができたり英語にふれる環境に生まれたことが大きく、羨ましいなと思ったこともあるが、スーパー貧乏だった僕の環境を羨ましいと言う人もいるから、話せない人はそれはそれで、その人しか持ち得ない個性で、他に得意な事があるんだろうとおもう。
その境遇を乗り越えて行くも、その人の個性。
テレビや映画、マンガ小説を通じて学んだ僕の幼少期は今に活きているし、その時間を過ごした事が僕の境遇であり個性だと思っている。
Amazonプライムで配信されていた、庵野秀明と松本人志との対談で、世界を意識するかと言う問いに
「世界は海外ではなく、ここが(脳)が世界だから」と答えていた。
すなわち、世界に行くのではなく、呼び込めるかが大事と言う意味だった。
日本のアーティストは幾度となく世界に挑戦してきた。
70年代にYMOがFIRECRACKERを世界で40万枚売って、ワールドツアーを行った時も、
90年代にピチカートファイヴがTWGGY TWGGYで世界デビューし、ワールドツアーを行ったのも、今シティポップが世界でブームなのも、世界に標準を合わせに行ったのではなく、その個性をそのまま世界が認めたことが面白い。
一昨年、韓国の映画「パラサイト」が
アメリカの栄誉、アカデミー賞の作品賞、監督賞を受賞したのは記憶に新しいが、こんな事が未来永劫起きうるなんて想像もしなかった。
国や地域、言葉、セオリー関係なく
「いいものはいい」と言う評価をできるようになったのは、配信やネット、リモートにより何がどこでバズるかわからないと言う世界になりつつあるのではないかと思う。
今、アカデミー賞作品賞、監督賞にノミネートされている日本の映画「ドライブマイカー」もどうなるか楽しみだ。
近年面白い映画を作り続けてるアメリカのインデペンデント系映画制作&配給会社A24は、映画「ミナリ」で、韓国人俳優をメインキャストにした作品を発表、映画コンテンツはどんどん国という垣根がなくなりつつある。
韓国と言えば世界的スターに上り詰めたBTSというグループがいるが、僕が言っている世界を呼び込むという話とはちょっと違うと思っていて、世界に標準を合わせていくというやり方だ。韓国はそもそも海外へ標準を合わせた教育が行き届いているので、自然なことかもしれないが、音楽性や世界観すべてを全米向けに作っている。
近年、日本でもその韓国に影響を受けたであろう作品がかなり多く見られるが、
日本ではそのやり方はうまくいかない。
まず、世界基準への教育が圧倒的に違う。
子供の頃から世界に触れるには、それなりの親の考え、環境がないと自分では難しい。
根深い島国根性というか、歌謡曲の血なのか、
桑田佳祐さんが、サザンの曲調について、エリッククラプトンやビートルズの影響を受け、ビフテキをつくっているにも関わらず、味噌汁をつけてビフテキ定食にしてしまう、、と言っていたが、聴く側にも同じ血が流れている。
90年代ドリカムが世界デビュー、
00年代に宇多田ヒカルが最初の世界デビュー、
どちらも個性を世界基準に合わせに行った印象だったが、あまり大きな評価には繋がらなかった。
独自の個性というよりは、一つの新人という位置づけになって、埋もれてしまったのかもしれない。
10年代、日本のアニメーションがヨーロッパを中心にブームになり、そのまま日本の世界観から飛び出したのがきゃりーぱみゅぱみゅだった。
YMOやピチカートファイヴと同じように、
日本でやっていることそのままに、日本語で歌い日本のカルチャーを世界に知らしめ、熱狂させた。
そこで、ついに
宇多田ヒカル「BADモード」の登場。
前前作「Fantôme」で、全米1位になった時からその空気を感じた。「道」は、新しい音楽の道を体感した。
今作も含め圧倒的に個人的な日本語POPなのに、そのまま世界に同じ目線の曲になっている。
自然だ。
ジャケット写真を見てもその世界観が伝わる。
今までは顔のUPが多かったが、今作は
家の自然の中の風景、子供が駆け回る、特別作った世界ではない。
アートディレクターという視点からは、かなり発想つかない、仕事としてなんでもやりきりたくなる癖がある。
素晴らしい俯瞰からの目線のジャケットだ。
以前、桑田佳祐さんに、フォトグラファーを数人提案したら、
「このラフの写真でいいんだけど」という意外な回答をもらったことがある。
(提案ラフの写真を撮ったのはれもんらいふのアルバイトだった😂)
どうしても、今流行りの絵を作ろうとフォトグラファーを提案していたが、もっと俯瞰でモノを見ろと言われた気がした。
以前、
「これはデザインではない」の中で、
「自分の思うままに生きよう」と書いたが、
まさに自然にナチュラルに物作りが出来てこそ、世界につながっていく気がしている。
僕は、映画を作りたい。
自分らしい自分だけの生き方から生まれる作品をつくりたい。
絶好調でもBADモードでも、
宇多田ヒカルの作品は、境遇や個性を受け入れ、物作りをもっと自然に行こうよと、示してくれている。
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