表現への覚悟「なぜ僕は、エヴァンゲリオンが好きなのか」
今週末、4回目を観に行こうと思っている
シンエヴァンゲリオンですが、
沢山の人が考察や感想をさまざまなところで
書いているので、ここでは
「表現」ということをベースに書いていきたいと思います。
ちなみに、すこしシンエヴァのネタバレを含みますので、
まだ観てない人は、観てから読むか、読んでから観るか、考えてから読んでくださいね。
率直に言うとエヴァンゲリオンは、
アートや、アニメーション、映画、グラフィックデザインにまで「表現」という言葉の意味を広げても、エヴァンゲリオンは、その全てにおいて優り、大切なことを伝えていると思いました。
パンフレットを見ると
庵野秀明監督の、この映画に賭けるミッションがはじめのページに書かれていて
「我々は三度、何を作ろうとしていたのか」
の冒頭部分
「デザインの面白さ」
からはじまります。
僕はドキッとしました。
デザインの仕事は、それ以外の部分を突き詰めた人のカヴァーであり、サポートです。
商品開発、イベント開発、映画、舞台、ドラマなどのデザインという着地点を担う仕事です。
その部分においては私たちがスペシャルであるという位置付けでしたが、
まず、庵野秀明監督は、書体にこだわり
マティスという世界観の統一を95年のスタート時に決めています。
はじまりの歌だけでなく、全てにおいて同じ書体を一貫してつかいます。
その市川崑監督のL字明朝の使い方や
平面的かつ、グラフィックなカメラワークで絵作りをしています。そもそも、赤いエッフェル塔の左右対称からスタートする今回のシンエヴァの冒頭は、L結界の赤い大地と青空を見ても
グラフィックデザイン的と言えると思います。
広告屋として、
映画のポスターや、CDジャケットのデザインの依頼を受けると、主役となる被写体はど真ん中に大きく配置してくださいと言われます。脇役をその左右に配置するという決まりは、なかなか切り崩せない宣伝担当の安心のためのセオリーですが、
エヴァには、ルールがありません。
今回新しく発表になった、オールキャストバージョンのシンエヴァポスターは、先に出ていたポスターとリンクしていて、見る人を感動させました。
それすら物語の一部で、内容とリンクさせて宣伝物ではなくストーリーになっています。
これはアートディレクターを専門職にして毎日新しいモノを生み出していたとしても、なかなかできないことです。
僕は常々、スタッフに俯瞰で、一つ広いフィルターでモノを見てアイデアを考えるようにしなさいとずっとつたえていますが、庵野さんの作るものは、一つ広いフィルターどころか、将棋の対局のように何十手も先を読んで作られています。
:Qで、シンジくんと冬月が将棋を打つシーンがありますが、31手先を読むシンジくんを見るだけでも、クリエイティブは、もっと先を読む必要があるなと考えさせられました。
今回シンエヴァでは「回収する」という言葉が飛び交っています。
新劇場版だけを見ても謎がたくさんありますが、
テレビ版、旧劇場版を見てきた人にとっても謎+こうあってほしい、、、!と願う、最後の砦がか今回のシンエヴァでした。
僕自身も感動とか物語を純粋に楽しむとか
そんなこと以前に、謎への回収、
旧劇場版から、ラストはどうなっていくのか、、、惣流と式波アスカは?人類補完計画とは、、?綾波はどうなる、父ゲンドウ、マリって何?カシウスの槍は?とかとか、気になることだらけ、、、、
それをスッキリさせてほしい!と願っていました。
エヴァはずっとモヤモヤしてるんです。
それは作品に対するモヤモヤだけではなく、庵野秀明監督に対するモヤモヤが大きい。
今の僕ではクリエイターとして、到底辿り着けないというモヤモヤです。
エヴァを理解することで、すこしでも庵野さんに近づき、自分に置き換えていく作業をしているのだと思ってずっと過ごしてきたので、理解したい!何を考えているのか知りたい!が先に出ていたのに、、、、!
終わってみるとなんと、涙涙の超感動作でした。
序盤の第3村のシーンは、今までのエヴァにはない、安らぎのシーンでした。
:Qを引きづって、L結界を歩く3人からは想像つかないシーンでした。
(ちなみに、この歩いているオープニングは、グラフィック、構図や文字の入り方、音楽の使い方、全てが素晴らしい、生涯忘れないはじまり方です)
この第3村は、物語へ引き込まれていく、謎とかそんなこと忘れてしまう導入。
それは、シンジくんの心ともリンクして、
村人や友達の優しさに触れていく中で、見る側も物語に入って行きます。
綾波(初期ロット)の死によって、またエヴァの世界に引き戻されて行きます。
後半は、全てを回収していく物語になっていきますが、ミサトさんにシンジくんが「あいついい奴だったよ、僕はすきだよ」という辺りから、
回収や謎解きはどうでも良くなっていきます。
物語に引き込まれ、あとは、ミサトさん、アスカ、ゲンドウ、綾波と、それぞれの物語が終わって行きます。
そして向かえるラストシーン。
成長し、すこし大人になったシンジくんがそこにいます。
宇部新川駅のホーム、誰もが夢に描いた情景でありながらも、終わりを迎える、見たくなかった光景でもあります。
宇部新川駅は庵野さんの故郷。
25年のエヴァの歴史に幕を下ろすラストは、
自分の生まれた街、自分の思い出の世界に帰していく。
そして、シンジくんの未来は、マリと共にあり
新しい人生を踏み出していく。
実写で表現された宇部新川の世界こそ、本当にこの物語が終わることを示し、全てはエヴァンゲリオンイマジナリーの中で起きていて、私たちは、映画館を出て現実の世界に帰っていく、ということなんだ。そしていつか、
「歳をとっても忘れられない人」に
エヴァの記憶がなっていくのかもしれない。
1人の人生のラストを感じるようなラストでした。
先日、河瀬直美さんの「朝が来る」という映画を観た後、河瀬直美さんから、ジュリエットビノシュと河瀬さんが対談したYouTubeが送られてきました。
朝が来るの物語のベースは、里子をもらった家族と、産んだ子供を里子に出したした少女の
本当の親子とは何かを問う物語で、YouTubeでは、河瀬直美さんの実際の親に対する思いも描いているという話をしていました。
僕は、それを見た感想を自分の母への思いも書いて河瀬さんに返信しました。
すると、
「千原くんは、その母のことも、人生のことを、これからは全て表現で打ち返すんだよ」
と言う言葉で返信が帰ってきました。
それは、映画監督を目指している僕にとって、最大のエールをいただいた気がしました。
今回のシンエヴァンゲリオンにはその人生の打ち返しを強く感じました。
監督には、さまざまな考えの監督がいると思うけど、
表現は人生のミッションであり、全てなんだと。
今まで経験してきたことの全ては表現にあるんだと、2人の作品から感じ、取り入れることができた。
あんなに私的なのに、人々に刺さる作品を
僕もいつか必ず生み出したいと思いました。
最後に
昨夜の「プロフェッショナル仕事の流儀 庵野秀明スペシャル」を見て、思ったことが2つ。
1つは、なぜそこまでやるか?です。
それしかできないからと言う庵野さんの言い方も理解はできるのですが、スタッフの方が
「作品をつくるってそういう事じゃないんですか?」と、インタビュアーに聞き返したシーンがとても印象的で、何か忘れていたものを呼び起こされた気がしました。
また、
「命をかけて作品を作る」
って、よく聞く言葉すぎて、どこまでの事を言っているんだろうと、むしろ軽い言葉のように感じていたけど、この番組を見ながら思ったのは、
シンエヴァを観終わった時の涙は、庵野さんの命をかけた作品だということを受けとったからだったんだと理解しました。
僕は小さい頃、
母親と旅行した時、ちいさなペンションに泊まり
その家の本棚から
手塚治虫「火の鳥 宇宙編」を読んで
ある意味での、マンガは「怖い」というトラウマを植え付けられました。
中2の時には「AKIRA」を観て鉄雄へのトラウマ、さらにはデビルマン、そしてエヴァンゲリオン。
ジブリでは感じる事のない怖さを感じ、
ずっと忘れる事のないトラウマが現体験として残っています。
なぜ僕にはこのトラウマがあり、
ずっと何の意味があるのかなって思って
生きてきました。
全ては、、、
あのシンエヴァンゲリオンの
ラストシーンのためにあったのかもしれない。
庵野秀明監督、
僕のこれからの「表現」という人生に
大きく影響を与えた人。
ありがとう、そして、
さらば、全てのエヴァンゲリオン。
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