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第3章 学生時代

 ふと、気がつき、顔を上げると、長谷部は教室にいた。ここは、小学校・・?
教室の一番うしろに長谷部は立っていた。休み時間なのか、児童たちは走り回ったり、黒板に落書きをしたりして、騒がしかった。窓があいており、ベランダからの風が薄汚れた白いカーテンをなびかせている。その隙間から光が差し込んで、眩しい。
「おい、どうするよ今夜。いよいよだな。」
いきなり声をかけられビクッとする長谷部。振り返ると、そこには子供時代の岡が立っていた。
何も言わずに岡を眺めていると、小学生の彼は、興奮した様子で続けた。
「ちゃんとテントはバレないように公園に隠しといたぜ!食料もバッチリだ。」
「えっ、食料・・?」
長谷部は何のことか最初はわからなかったが、話を聞いているうちに段々と理解できてきた。
「ちゃんと準備したかぁ?あ、懐中電灯も持っていかないとな!あぶねえ、忘れてた・・。」
そうだ。小5の夏だ。クラスの連中と夏休みに家出しようとした日の出来事だった。
長谷部は思い出した。終業式の日か、悪ガキだった岡の提案で、富士の樹海を目指して旅に出る計画を立てていた気がする。たしか、その春に放送されていたドラマに憧れて、なにか大きな大冒険をしようということになって・・・。ドラマの内容はもう詳しくは忘れてしまったけれど、長谷部には断片的に覚えているシーンがあった。主人公はスワンボートを改造して、その船を使ってどこかの島を目指していた。途中嵐に襲われながらも、必死に仲間たちと改造したスワンボートをこぐ。
そんな場面だ。それと富士の樹海が何の関係があるのかは謎だが・・。とにかくあの当時の少年たちは、未知の世界へと大冒険にでなければいけない!という強い衝動に駆られていたのである。
最初は4人で計画していた夏の冒険だったが、一人が親にばれ、その日のうちに仲間たちみんなの家族に知れ渡ることになってしまった。夏休みに入る1週間くらい前だったか、そのせいで長谷部自身も激しく両親に叱責された上に、外出禁止を言い渡され、珍しく親と大ゲンカしたのであった。
残ったもう一人の仲間もキャンセルが決まり、岡は相当怒り狂った様子だった。
「長谷部、もしかしてお前まで裏切らねえよな?」
子供岡がすごんでくるので、長谷部は笑いそうになった。もちろん裏切るつもりなどない。
「ああ、行くよ。でも荷物はもう少し減らしていこう。」
そう、あの旅は、途中で大人に捕まってしまったのだが、見つかった理由というのが、岡の荷物がかなり大掛かりで、目立ちすぎてしまったことだった。しかも見つかってから逃げるのに重いリュックを背負ってるものなので、岡はすぐにこけ、長谷部もとうとう観念したのであった。
「大冒険だもんな、ワクワクするぜ!俺たち将来は・・・・・・。」
岡が何かを言っている。しかし聞き取れないまま岡が、教室が、暗く、遠くなっていった。

「聞いてるのか、おい!」
長谷部が再び顔を上げると、そこには高校時代の担任の姿があった。なんだ、ここは、職員室?
どうやら長谷部は呼び出され、怒られているらしい。コーヒーの香りがほのかに漂う中で、長谷部は説教を受けているようであった。
「お前なあ、卒業して大学もいかず就職もしないでどうするつもりなんだよ。」
ああ、そうか、進路希望の紙を提出したときに呼び出されたんだっけ。
「なんだこれは、ミステリーハンター?なめとんのか?お前は。」
進路希望の紙を突き出された長谷部は、思わず紙を二度見した。
ミステリーハンター?そんな酷いこと書いてたのか?長谷部にも心当たりはなかった。だがしかし、進路について、親とも、学校とも、もめたのは覚えている。
「説明してみろ。ん?」
担任の顔が近い。彼の息が長谷部にかかる。長谷部は自分が思うよりも先に、というより勝手に、言い返していた。
「僕は、僕は卒業したらこの町、いや、この国を出て旅がしたい。まだ日本人が誰も見つけていないような新しい生き物だったり、景色、食べ物を発見して、それを皆に紹介するような、そんな何かに、・・なりたい・・・です。」
そうだ。確かに長谷部はそう言った。このとき言ったことが、今、自分の口から出てきて始めて、思い出した。考えてみると、とてもおかしなことなのだが。
「はあ。何かってなんだ?」
長谷部は担任を見つめていた。瞬きもせずに、目線もそらさずに、ただじっと見つめていた。
「黙ってないで説明してみろ。本気で言ってるのか?大したこと考えてないんだろ?」
何も言い返せない長谷部だったが、ここでうつむいたら負けだと感じて、ただひたすらに担任の目を見つめ続けた。すると、担任は後ろを向き、去っていったので、長谷部は職員室を出た。出たというより、勝手に体が動いて、廊下に出された、そんな感じだった。
廊下にはクラスの数人が長谷部を待っていた。
「お前すごいな!よくあんなこと言えるよ!」
さっきのやり取りに聞き耳を立てていたらしい。数人のクラスメイトたちは歓声を上げた。
今思えば、半分バカにしたような言い方でもあったが、当時の長谷部は嬉しかった。
「自分のやりたいことを進路希望表に書いて何が悪い?なあ?」
長谷部は皆の前でそう勇んでみせた。
「さすが長谷部!いやー、僕も専門学校行きたいって親に言ってみよっかな!」
鼻息荒くそう放ったのは小田島だった。小田島は色白で、ひょろっと背が高く、運動は苦手だったが、マメで気が利く、まあ、みんなのママ、みたいな存在だった。
そういえばこのとき小田島は料理が好きで、調理師学校に行きたいって言っていた気がする。でも実際は親に猛反対されて大学に行ったのであった。長谷部は、そんな小田島を見てたら、なんだか気の毒に思えてくると同時に、面白くなった。結局そんな小田島父が、将来脱サラして居酒屋をオープンさせたのだから。でも、待てよ。長谷部はふと、疑問に思った。なぜ小田島の父はそういった夢を持っていたのにも関わらず、小田島の夢を否定したのだろうか。それを考えると、なんだか矛盾している気がして今度は無性に腹が立ってきた。
そしてもう一つ記憶が蘇ってきて、長谷部はイライラしていた。このあと長谷部は親にも進路のことで強硬な姿勢を貫くつもりだったのだが、その際に説教されたことがある。
『大学に行けばやりたいことは自由にできるし、将来の幅も広がる。今、担任の先生にも詳しく説明できないような夢なんだったら、やめとけ。とりあえず大学に行って、それが明確になってから、もう一度考えろ。大学に行けば何か見つかるさ。俺もそうだった。大学で自分の人生を見つけたようなもんだ。』
今思えば、なんという無責任な言葉だったのだろう。しかし当時の長谷部は、それに流され、大学に行けば何とかなると思った。そして、半年間勉強し、まあ、中の上くらいの地元の大学へ進学することとなったのである。
しかし大学に実際入学してみると、拍子抜けであった。入学式からサークル連中の新入生歓迎の勧誘ラッシュ。参加してみた秘境探検部では、飛行機やホテルを使ったようなリゾート気分な旅行。
そして定例会議のあとはいつも飲み会。さらには男女の出会いの場と化した、方言研究会などというものすらあった。
話に聞いていた、いや、聞かされていた父のいう大学の姿は、そこにはなかった。大学に行けばなんだってできる――何を自分は期待していたのだろうか、長谷部は何かを期待した自分を情けなく思い、孤立していった。しかしそれと同時に、大学生たちに、大学の空気に、流されていったのであった。

長谷部の目の前がまた、真っ暗になった。長谷部は、草の上に寝転んでいた。うっすらと雲がかかった夜空に、星が見え隠れしていた。少し肌寒い。そこに現れたのは、ココアとコーヒーの缶を抱えた、林だった。
「おまたせー。寒くなってきたね。」
林はそう言うと、ココアを長谷部に手渡した。まだ熱くて、すぐには飲めそうじゃなかった。
周りには小田島と、田中の姿もあった。ああ、これは2年前か。地元の仲間たちとペルセウス流星群を観に来たのであった。小田島は寒いのか寝袋にくるまりながら財布を出して、コーヒー代の小銭を探している。田中はただひたすら、夜空を見上げていた。田中は寡黙で、無愛想な男だ。何を考えているのかわかりづらく、それでいて任侠映画に出てきそうなコワモテ、体格もがっちりしてるときたものだから、初対面ではよく恐れられる存在だった。小学校のころから彼は孤独を愛する傾向にあり、友人の数も少なかった。しかし長谷部同様、浮いている存在であることに変わりなかったので、シンパシーを感じたのか、不思議と、いつのまにか二人は仲良くなっていった。
「どう?見える?」
林はそう聞きながら隣に寝転んだ。
「星はそこそこ見えてるんだけどな・・。」
曖昧な返事をして長谷部はココアを口にした。甘さと温かさが口中に広がる。
どれくらいの時間が流れたであろうか、4人はただ、曇りかけた夜空を見上げていた。
そんなとき、突然林が口を開いた。
「みんなはさ、卒業したらどうするの?」
いきなりの質問だった。なんて答えたんだっけ、長谷部は思い出そうとしていた。
「僕はとくにこだわりはないけど・・転勤のない仕事に就きたいな。」
小田島が答える。
「ふーん、なんで?」
林がぼーっと空を見たまま尋ねた。
「うちって小学校のときからずっと転勤族だったし、親も家にあんまりいなかったから、なんか、自分の子供にはそういう思いさせたくないなーって。」
もっともらしい、小田島の本音だった。しかし長谷部は思った。いや、待てよ。そういえば料理人の夢は――
「田中は出家でもしそうだけど・・・」
小田島は田中に話をふった。聞いているのかどうかもわからない田中であったが、何一つ表情を変えず、上を向いたまま答えた。
「俺は大学院に行く。まだやりたいことがある。」
即答だった。田中は何を考えているかわからない男だが、言葉に迷いがなかった。
「そうなんだ、田中くんらしいっちゃ田中くんらしいね。」
林は納得した様子で、コーヒーを飲み干した。
「そういう林はどうするんだよ。」
長谷部はつい、聞き返してみた。すると林は、少しためらいながら、恥ずかしそうに口を開いた。
「私はね、卒業しても絵を描きたいなって思ってる。」
意外な答えだった。そうだ、林は絵を描くのが大好きだったのだ。小学校の時からずっと厳しい家庭で育ってきて、成績も優秀、常に良い子でいたけれども、ずっと、ずっと想い続けてきた夢があったのだ。
「今以上に練習して、もっともっと色んなもの描いて、それで、自分のアトリエを持つんだ。そこでいつかは子供たちに絵を教えたりしたり、個展を開いたり、そんな画家になりたいなーって。」
柄にもなく林が熱く語ってくれたこともあって、気がつくと田中までもが林を見つめていた。
「あー、なに?長谷部はどうなの?」
林は少し恥ずかしがって、話をそらすためなのかどうなのかは分からないが、長谷部に質問した。
「俺はあれだな、小学校時代から根本は変わらないよ。」
どうしてなのか、長谷部の口からは自然と言葉が溢れていた。
「え、それって世界一周のやつ?」
小田島が食いついた。
「ああ、1周どころじゃねえよ、全部みる。」
「そういえば昔から冒険するって言ってたよね。」
深夜のテンションなのか、普段こんな話を真面目に聞いてくれないであろう林まで、目を輝かせていた。
「色んな国を旅して、いろんなものを見て、色んなことを経験して・・」
みんなが真剣に話したように、長谷部もそれに応える。
「まだまだ世界には知らないことが沢山あるんだぜ?それを求めて旅に出る。面白いだろ?それでそうだな、そこで得た経験をまとめて、本にでもするか?そう、そういうのが、俺の―――」

 気がつけば、流星を探しに行ったはずが、誰もがはしゃいで理想を語り合っていた。

・・・?頭が痛い・・。長谷部は電車の座席に横になっていた。昔の夢?そうか、夢か。
きしむ体を何とか起こし目をこすると、車内は真っ暗で、誰もいなかった。

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