目にする、ということ。
原宿DFGでのポートレートグループ展「写していくこと。」が終わってから1週間以上が経とうとしている。
面倒くさがり、人見知り、団体行動が苦手な私がよくぞ9人でグループ展の主催なんてやろうとしたもんだ、と改めて思う。
想像以上の来場者数に自分も会場もキャパオーバー…毎日本当にうれしい悲鳴で、結局3日間オープンの11時からクローズの20時までずっと在廊した。
タピオカ祭りの予定が最終日だけ辛うじて飲めたという。
結果、体脂肪が4%減っていた。(今は少し戻った)
いつ倒れるか分からない、至らぬ点しかない主催者に最後まで文句も言わずについて来てくれた8人の展示メンバーには、本当に感謝しても感謝しきれない。
ちなみに初日の朝礼で、もし自分がぶっ倒れたら救急車は呼ばずに隅に寄せて放置してくださいと伝えたら笑われてしまった。
展示メンバー含め、この展示で生まれた様々なご縁は本当に大切にしたいなと思う。
さて、今回特に感じたのはSNSの凄さだ。
自分が展示した作品は7作品(2日目以降若干増えたが)、その内5作品はSNS既出のものだった。
そのせいか、私の名前を知らずに展示に作品を見に来た方たちでも「この作品…知ってます!見たことあります!TLに流れてきました!」と言ってくださる方が多かった。
また他の会場で行われている展示とのSNS上での相互宣伝も功を奏したようだ。
本当にSNSというのは、恐ろしいけど頼もしい。
いくら綺麗事を言おうが、写真は見てもらってナンボだ。
SNSは目に留まってナンボだ。
展示も人が来て、見てもらってナンボだ。
正直、変なストレスが溜まるからいいねの数やフォロワーの数なんて気にしたくない。
好きな写真になればなるほど、いいねの数は思ったように伸びない。
フォロワーの数の増減で一喜一憂してしまう。
そんなの面倒でしかない。
ぶっちゃけると、主催をしてなければフォロワーの数なんて今更あまり気にしたくない。
展示前は何度もSNS辞めてー!とiPhoneを投げたものだ。
だけど、写真を展示する以上、何度でも言うが、見てもらってナンボだ。
そのための拡散媒体にはSNSが最適だ。
目にしなければ良さなんて解らない、伝わらない、批評だって批判だってされない。
データとプリントはまったくの別物だ。
それは展示する度に実感する。
来年も懲りずにきっと展示の主催をするだろう。
もしかしたら個展になるかもしれない。
妄想を片手にまた電卓を叩く日々だ。