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ヴィンテージになれ(土岐友浩歌集『僕は行くよ』)

 土岐友浩歌集『僕は行くよ』の特徴は、喪失感、記録性、几帳面な破調などである。もちろん他にもあるが、とりあえず右の3点に絞って書く。

1 喪失感

 土岐の歌には、過去・現在・未来の喪失に思いを馳せる歌が多い。この喪失感が、読者の胸に響く。人はみな何かを喪失しながら生きるものだから。

いないのにあなたはそこに立っているあじさい園に日傘を差して

 「あじさい園 Hydrangea Garden」p12
いつからかあなたの胸のなかにいて撃ち落とされたサン=テグジュペリ

 「水色 Light Blue」p19
大切なものじゃないから目に見える イオンモールに降るぼたん雪

 「水色 Light Blue」p21
本当は教師になってほしかったのでは 孔雀が羽をひろげる

 「ホッキョクグマ Polar Bear」p75

2 記録性

 『僕は行くよ』には、修辞の高さや抒情よりも、記録性に重きを置く部分がある。そう感じるのは、連作でいうと「映画日記 Movie Diary」や「落下するヒポカンパス Falling Hippocampus  平成じぶん歌」などである。これらの連作は、特定の時期に放映されていた映画たちや、平成年間に起きた大事件などに取材した歌群である。(括弧[]内は詞書)

 [9月5日 「寝ても覚めても」MOVIX京都]

原作だと地震は出てこないから、と教えてもらう予告のときに

 「映画日記 Movie Diary」p60
 [9月9日 「寝ても覚めても」2回目 テアトル梅田]

これ以上用がないのに大阪を 朝子は二人いたのだろうか
 「映画日記 Movie Diary」p61
 [1995年3月20日 地下鉄サリン事件]

落下したヒポカンパスがたちこめるにおいを嗅いでみれば 酸っぱい

 「落下するヒポカンパス Falling Hippocampus  平成じぶん歌」p96
 [1997年6月28日 少年A逮捕]

あ、僕とおなじ十四歳だって 夜のフェンスの奥の紫陽花

 「落下するヒポカンパス Falling Hippocampus  平成じぶん歌」p98

 修辞の角度だけから見れば、語がよりよい語で置換可能、いわゆる"動く"箇所のある歌や、狙いのわかりにくい歌も多い。しかし、これらの語はおそらく事実に則した選択であり、土岐にとっては必然性があったのであろう。これらの歌群はヴィンテージになる前のワインのようだとも感じる。これらの歌が、例えば百年後、平成や令和の時代感を伝える貴重な資料となることもあると想像する。

3 几帳面な破調

 破調には、字足らず、字余り、句跨り、句割れなどの種類がある。

その爪はペンギンですか 友達の友達の友達にたずねる

 「ブラックホール Black Hole」p167

 例えばこの歌で言えば、「そのつめは/ぺんぎんですか/ともだちのとも/だちにたずねる」として第四句と結句が句跨りになっている。この句跨りにより、友達の友達の友達という関係の遠さに対峙したときの軽い緊張感が表現されている。

 一般論として、破調に伴って一首の合計文字数が31より増減することはよくある。しかし土岐は、31文字遵守のために帳尻を合わせて来る、真面目さがある。

『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』が駒ヶ根のTSUTAYAにあった

 「落下するヒポカンパス Falling Hippocampus  平成じぶん歌」p102

 『手紙〜』はご存知、穂村弘の歌集。普通に声に出して読めば、「てがみままみ/なつのひっこし/うさぎづれが/こまがねの/つたやにあった」となるだろう。なぜなら、先ほどの爪の歌の「友達」の語は成り立ちを「とも」「だち」に分けることが可能で、それにあわせて楽に句跨りをさせることができるのに対して、この歌の「手紙魔まみ」は「てがみま」「まみ」からなっていて、初句を5音におさめようと「てがみまま」「み」と分けるにはやや無理があるからである。紙にミシン目がついているのだったらミシン目で切り離すのが理にかなっている。
 初句が7音で字余りであっても普通はその後を7・5・7・7と続け、結果として31文字を超えるのが定石である。しかし、土岐は、几帳面にも第四句を5音へ減らして全体で31文字にしている(初句の1音、第三句の1音の余剰を、第四句の2音不足で相殺)。
 以下の歌でもそのように帳尻を合わせている。

殴ってでもやめさせればよかった、と男のあとで男は言った

 「傘立て Umbrella Stand」p23
あなたは神様ではない 制服の袖に隠したてのひらの傷

 「落下するヒポカンパス Falling Hippocampus  平成じぶん歌」P99

 こうした韻律面の几帳面さから、歌集の背後にいる作者の几帳面さも漏れ伝わる。破調は嘘をつけないと思う。韻律から人柄が浮かび上がるのは、短歌の魅力の一つではないだろうか。

4 終わりに

 全体を通じた水や雨に関連する歌の多さ、ノモンハン事件の兵士になりかわった連作(とても好きだ)など他にも多くの切り口はあるが、とりあえずここで筆を置く。『僕は行くよ』の好きな歌のうち、上記で取り上げられなかったものを以下に記す。

ありふれた悲しい話には歌を オムライスにはすこし焦げ目を
 「数字 Numeric Character」p41

遠くまで来たはずなのに桂川イオンシネマで空襲を見る
 「地下鉄のスー Subway Sue」p53

六月は蛇を隠しておくところ 雨のやまない校庭に行く
 「海蛇 Sea Snake」p112

春風に振り回されてあたらしい定期券から水辺のにおい
 「放課後 After School」p117

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