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【ルーン語り】ほんとうのしつもん。
横浜で、ルーンリーディング講座を開催している。
5回連続講座で、1回5つのルーンとじっくり向き合う時間を設けている。
講座の中の実技の時間に、受講生さん同士でリーディングし合いっこしてもらうのですが、「では、それぞれ相手にリーディングしてもらうための質問を考えて」と言うと、これがなかなか出てこないことが多い。
いざ、なんでもきいて(質問して)!と言うと出てこない。
うーんうーんと考え抜いて捻り出しているようにも見える。
はて…
ひょっとしてみんな順風満帆?
と思うのだが、講座の合間の雑談タイムにワイワイ話していると、悩みや愚痴があれやこれやと飛び出すこともある。
ふむ、ないことはないのだな、と思う。
でも、それをいつもズバッといたいところを突いてくるルーンにあらたまって、かしこまって訊くのは怖いのかな、とも思う。
それとも、、、気軽なお喋りの時は出てくるそれは、わざわざルーンに訊くまでもない、たいした問題ではないのかも。
そもそも、問題ってなんだろう?と考えてみると、誰かにとっての問題は他の誰かにとっては問題ではないことの方が多い。
同じひとつの事象を見ても、「ひゃ〜!こりゃ大変だ!」と思う人と「ふ〜ん」としか思わない人がいることもある。
ひとつの山を乗り越えるときに「うわあ、どうしよう、大変だ、大変だ」と慌てる人と、「確かに大変だけどやらなきゃ仕方ない」と腹をくくる人に人に分かれることもある。
問題と感じるか、問題ではないと感じるか。
そしてそれに対して自分がどんな問いを内側に持つのか。
たったひとつの事象に対して、道は細かく分かれていく。
その分かれ道を、日常の私たちはポイポイと選択して進んでいるのだが、その足がぴたりと止まってしまった時、質問が生まれるのだと思う。
セッションをしていて、時々
「◎◎◎をしてもいいか?」という質問が出る時がある。
いいか?と言う質問だからイエスかノーで答えることになるが、
「それはもうやると決まっていることですか?それともやるかやらないか迷っていることですか?」
と質問者に尋ねるともうやると決まっていると。
それだったら質問は「やってもいいか」ではなくて「やるとどうなるか?」あるいは「◎◎◎をやるにあたってどんな心構えでいたら良いか」とか「◎◎◎をやるにあたってのアドバイス」ではないでしょうか?
と提案すると、「ああ、確かに!」と、うなづかれている。
質問に正しいも間違っているもないけど、やると決まっていることにノーが出たらやめるのかといえばきっとそうではないだろう。
だったら「やる」前提での質問を組み立てた方が賢明なのではないかと思っってしまうわたしなのだ。
と、こんな感じで質問が定まったところではじめてルーンをひいているんだけど、わたしってひょっとしてめんどくさい占い師なんだろうか、と自問自答することが時々あるのだ。
なんだか自分が国語の先生になってしまったような気がしてくる。
質問の段階であーだこーだ小うるさく突っ込まれるより、相手の方はもっとぼんやり気軽に質問したいのかもしれない、と思うこともあるのだ。
でも、この質問の組み立て直しや確認を行なっていく途中で、まったく別の問いが浮上してくることもある。
それは、最初の質問の陰にこっそりと隠れていたりする。
でも、その瞬間は、これこそが確認したかったことだったんだ、と画面の向こうのクライアントとこちらでお互いポンと膝を打つような、大切な鍵を一緒に見つけたような気持ちになる。
ひっかかっていたのがなんだったのかハッキリわかると、それがひっかかったままでも一歩前進した気になるのはわたしだけだろうか。
「本当の」質問が見つかった段階で、仕事はほとんど終わったような気分になりかけるのだが、危ない危ない。わたしはルーン占術師。ちゃんとルーンをひきますとも。