自由への渇望が表現されたらしきわたしの夢
先日、この記事で夢の話を書いた。
上記リンクの夢は、今まで生きてきて一番不思議で印象深い夢だったけど、実は昔から夢はよく見る方だった。
前職である映像ディレクターをしていた時は、仕事の夢を見ることが多かった。
だいたいが、「今から撮影が始まるのに私、絵コンテを描いていない!」とか「イベント本番なのに編集がぜんぜん終わっていない!」などの追い詰められた状況の夢だった。24時間仕事のことが頭を離れないような職種ならではの夢だと思う。
その頃は仕事以外にも、家庭のこととか友人関係のこととか、夢を見るときは日常生活で気になっていることがそのまま夢に出ていたことが多かったように思う。
それが、現在の仕事にであるセラピストに転向してからは現実的な夢はあまり見なくなって、どちらかというと「ここはどこ?」「私は誰?」と言いたくなるような現実離れした夢の方が多くなった。
その中でもよく見ていたのは「空を飛ぶ夢」。
グランドキャニオンみたいな雄大な風景の中をムササビみたいに両手を広げて飛んでいる夢もあれば、なんだか懐かしく感じる日本らしき街並みの上空をお散歩のように歩いている時もあった。
お散歩の時は、機嫌よく空の上を進みながら眼下の街を見下ろして「あ、あそこに降りてみよう」と思うとだんだん体が重くなっていき、なんとなく目指した場所に降りられるのだった。
長ーい階段を10段くらいおきにスローモーションでジャンプしながら降りていく、という夢も時々見ていた。まるでシンデレラのようじゃないか〜と書いていて自分で笑ってしまうんだけど、ガラスの靴を落としたシーンは夢の中にはなかった。
大自然、お散歩、階段。空を飛ぶ夢はだいたいこの3パターンに多少バリエーションが加わったものだった。
「空を飛ぶ夢」を見る心理の話になるとよく言われていたのは「性的な欲求不満」だったが、それだけかなあとよく調べてみると、「自由への欲求」や「成長願望」と言うのもあるらしい。
たしかに、「真の自由とは何か」というのは私の生きるテーマのひとつ。
いずれにしても現状の自分に満足できずどこかを目指していたいと言う気持ちが強かったのだろうか。
年齢を重ねるとともに空を飛ぶ夢は見なくなってしまった。これは何かを諦めたのか、達観したのか…。
ちなみに夢を見るとき、私の場合は色も匂いもついている。
友人の中には夢はいつも白黒だという人もいて、私の夢はカラーだけどと言うと羨ましがられた。
匂いがついている夢は、満開の薔薇の花畑かと思いきやそうではなくて、当時飼っていた猫が粗相をした夢を見た時、猫の排泄物独特のあの臭いがぷ〜〜んと漂って「うわあ!!やられた!!」と叫んで起きたことを覚えている。
当の本人(本猫?)は丸くなって寝ていたので粗相はしていなかったのだが、あの強烈な臭いが広がった夢は、海から大蛇が飛び出してくる夢と同じくらい忘れられない夢のひとつなのである。
「人はどんな仕組みで夢を見るのだろう?」
これは、私が知りたいことリストの一番上に載っている未だ解明されていない問いである。
特に、見たことも行ったこともない風景や、、会った事もない人が夢に出てくるのは何故なんだろう?
本を読んだり、人に話を伺ったりしたことはあるけれど、これといって納得のいく答えはまだ得られていない。
夢を見ている時、私たちの脳は、体は、心はどこに繋がっているのか。
「夢」をテーマに制作した三昧琴のアルバムはこれまでに2作。いつか3部作として完結編を制作したいと思っているのだが、どうなるだろうか。