見出し画像

ままならぬ日々への羨望と心地よさ

事情で図書館通いがお休み期間である。そこで気になった漫画をひたすら読み込んでいる今日この頃。ここ最近は長蔵ヒロコ先生を機にハルタコミック関連が多い。
田沼朝先生の「いやはや熱海くん」もその1冊である。

『僕の顔がいいばかりに』

押し寄せる好意の理由をこんなにも潔く述べる熱海くんがひたすら面白かったのが拝読のきっかけだった。

ただ難儀を示すばかりと思いきや、「好意」「他者との交わり方」について足立さん、国島さん、辻くん、足立さんファミリー等々の周囲の人々を通して考えて己に落とし込む熱海くんに、ただただ感心するばかりだ。

そんな熱海くんを観て以下のように考える。
足立さんに抱いている好意は恋愛ではなく熱海くんが事実と受け入れた如く一緒にいることが楽で心地よいという好意であること、辻くんと話したい理由は自分だけが良さを知っているという部分に同感し世界を共有したいという好意、綿野くんに彼女がいてショックだった理由は自分だけか好感を抱いていたと思い込んでいたことと彼に好感以上の信頼と親愛を抱いている人と彼にもその存在がいるということではないだろうか。

意気軒昂だとばかりと偏見を持ってしまう高校生の時期をゆるくままならぬ日々で過ごしている熱海くんたちに羨望してしまい、心地良さを感じている。

神経質になって自分自身を追い込んでいると気付いた時、淡々と自己を俯瞰したり無視する熱海くんを見ると気が楽になる。

刺々しくなったら読んでいる。このゆるさに浸かっていたい。そんな作品に出会えたことに感謝である。