そのカウントダウンは破滅か。希望か。
本屋さんの試し読み冊子を機にモクモクれん先生の「光が死んだ夏/ 」を拝読。
ただただ圧倒された。居ても立っても居られないので「すごい」理由を述べたい。あくまでも主観なので悪しからず。
光は佳紀にとっては父親的な存在。対してヒカルは佳紀を母親的な存在とさせている。
佳紀は光に依存していたことがヒカルと過ごしている事で母親的な存在となり、また光(ヒカル)への依存に拍車をかけており、ヒカルは人として初めて存在し感情を持ったこと、光の佳紀への親心的なもののために佳紀に依存しているのだろう。
子どもにしては大人過ぎて大人にしては子どもである10代後半の心理は、初めての気に置けない友人への好意が恋愛でも家族愛でも友愛でもなく「依存」の形で現れることがある。
それをヒカルと佳紀は表しているように観えるのだ。
「ダメなことはわかる」
「俺が教えないと」
既に佳紀はヒカルに溺れて破滅への道を辿り始めている一方、破滅ではない結末があるかもしれない、はたまた想像もしなかった顛末等、と読めない展開への期待もある。
夏の暑さとその暑さが不気味さに拍車をかける擬音の生々しさ、朝子が「見える人」である描写、村に忍び寄る恐怖、村の秘密、儀式とは、そしてヒカルと佳紀が辿るは破滅か別のものか。
目が離せなくなる。