呪縛からの解放は宿命を受け容れることでもある
花組ペルメルvol.1『長崎蝗駆經(ながさきむしおいきょう)~岡本綺堂「平家蟹」による~』を観劇してきた。
堀越涼さんが脚本、加納幸和さんが演出を担当、師弟のコラボというなんとまあ豪華で壮大な今回の演目。現代の設定とは言えども岡本綺堂作品を原案としているため設定が古風なことはもちろん、花組芝居特有の色香、滑稽、皮肉さにあやめ十八番が醸し出す人間の毒々しさが劇場内を包み、双方が織りなす幻想的な世界に誘われた。時代背景がよりそのことを感じる。家制度。仇討ち。因果。土地伝説。現代に於いては稀薄になりつつあるものを現代に見事繋げ重ねている理由は「呪縛」ではないだろうか。
因習を守ろうとする「呪縛」
家を守ろうとする「呪縛」
家に囚われ翻弄される「呪縛」
復讐の炎を燃やし続ける「呪縛」
母、父、弟に対する「呪縛」
これらを俯瞰する要素として現代に於いての昆虫学者、自衛官の存在がある。このおかげで観客を世界観、時代背景の常識に没入寸前、加害者被害者と分けそうになる寸前のところに留めているように見えた(まさに花組芝居の趣向)
色々な人物が蠢く中、ある1人の青年に焦点を於いていたのは彼が観客により近い立ち位置であるからであろうか。
彼が選択した先にあるのは果たして光か暗闇か。
ゲスト出演の皆さんは花組芝居の方々と違えるほど世界観に溶け込んでいらっしゃりその役者魂に畏慄く。
花組ペルメルをきっかけに花組芝居を知る方、ゲストの方々を知る方、双方を初めて観た方も勿論いらして本公演を機に花組芝居を、ゲストの方々を目にしたいとなる方々、演劇の和が広がることに誠に身勝手ながら嬉しくなる。
花組芝居、あやめ十八番の新たな試みに観劇後震えが止まらず、双方の劇団はもちろん、花組ペルメルのこれからをどんどん目の当たりにしていきたくなった。