シェア
二年前から、ある地方銀行の保養所となっている小さな山小屋で働いている。 小屋は春から秋の間だけ保養所として使われ、管理人は網野さんという初老のご夫婦が務めている。既に還暦を迎えている彼らに代わって買い出しで町に行くほかに、ほとんど山から出ることはない。常に何かに追われていたような町での暮らしに比べ、山の暮らしは穏やかだ。 玄関を掃くために扉を開けると、涼しい風が吹いていた。下界はまだ暑い盛りであるにも関わらず、ここに吹く風は既に秋の気配で、アキアカネが空を覆いつくす
いつの間にか鼻まで下がっていた眼鏡を外すと、午後の三時を回っていることに気がついた。まだ昼も食べていない、と思った瞬間に喉が渇く。朝からディスプレイを睨んだままで、テキストが眼鏡のレンズに貼りついてしまったんじゃないかと思ったが、もちろんそんなことはなかった。 もう昼はいい。とりあえず珈琲を淹れよう。 珈琲を淹れる動機はそれが飲みたいからではなく、豆を挽きたいからだ。戸棚からミルを取り出し、銅のスプーンで豆を掬う。ハンドルを回してがりがりと豆を挽いているときに漂う珈琲の香