
複眼的な視座を持つ 宇多田さんを思い浮かべていた
「歌姫ってなんなん」
そう つぶやいていた宇多田さん。
当時”いいね”を付けた11万超の人達にとってはもちろん
それ以前も、そして今も
彼女の立ち位置は絶対的なものだと思います。

― 宇多田 ヒカル ― by chiffon 2025
同じ様に受け止めていた私に、その後加わっていったのは
社会に対する彼女の考え方でした。
「ノンバイナリー」であるとカミングアウトしたのは2021年。
以前からアライであることはうかがわせていた宇多田さん
着用しているTシャツにはそれとなくレインボーがデザインされています
「Missですか、Missusですか?と聞かれたり、Miss、Mrs、Msの中から選ばなきゃいけないのにうんざりする」
「ステータスや性別にかかわらず誰もが使えるものがないかと探していたら “Mx(”mix” と発音)” というものがあった!」
“Mys” は宇多田ヒカルさんが考案した、誰でも使える名詞だそう。
よく考えてみると “Mx” はどちらかと言うと中性や両性の人向けで
“Mys” の方がより色んなものを包括できて便利そうな気がします。
※「」内は宇多田さんの英文投稿から
女性として色んなジェンダーを引き受けて社会的に生きていく自分に、少しずつウソをついている感覚がしてつらかったのです。
以上NOISE ライター投稿型 LGBT情報発信サイトhttps://lgbter.jp/noise/0106/#:~:text=より簡約
最後の一文に通づる思いとして
社会がジェンダーに負わせる役割に疑問を持ち続けてきた自分は
バイアスをかけられない、ただの「個」でありたいし
そんな事も含めて「何にせよ人それぞれ」と綴ってもきたし
誰もが何者であるか追い求める必然性もなければ
押し込められる必然性もないはずと思っています。
円滑な集団生活を目的とした何らかのカテゴライズは、ある程度納得せざるを得ないけれど、分類による問題は分断さえ招き
他所の大国にしても、この国にしても、なぜここまでこじらせるのか理解できません。
かつてBlack Lives Matterに繋がるツイートもしていた宇多田さん。
アメリカの、黒人に対する差別というのは、単に人が別の人種の人を見てなにか差別的な感覚を抱くっていうような人種差別の話ではなくて、国家・社会の仕組みの根深い問題。アメリカの黒人の歴史・現状を全く知らない人も、ある程度知っている人も、もっと知ろうとする機会になるといいな。
2020年6月4日Twitter(現X)より
チャリティーの収益は途上国の子供達のワクチン支援に、また度重なる災害支援には義援金の寄付などをしているという彼女が客観的な視点を持つようになったのは、活動休止中の「人間活動」を始めとして、複合的な影響がある事は想像に難くありません。
そして、対極にある主観的な考え方が、今回調べていた中に名前が挙がっていた人達それぞれに伺え、学ぶべき事がそこに現れている気がしたのは
彼女のSNSではリンクが辿れなくなっており、いずれの人もその後の詳細は明かしていないため回りくどい表現になりますが
宇多田さんが出演していたその場では、どちらも自身が辿り着いた位置からの発言に終始していたのに対し、彼女は阿る事なくお子さんにも自然な対処をしていたからです。
有名人(見られる側)になってからの十数年、どんどん自分が見えなくなっていってた。(中略)若いうちに気付けてよかったです。
2012年2月13日Twitter(現X)より
自身が対談相手に指名したという、スーさんのインタビューでは
人目を気にしながらだと本当の行動に感じないというか、何のために何をしてるかわからなくなってしまう
得意なことばかりやっていると成長しない
自分に自信を持つためには絶対に必要なこと
大きな恐怖心には、恐怖を感じながらその恐ろしいものに向かっていく、ということを繰り返している気がします
でも怖いってことは何か答えがあるってことで、向かっていかないと成長も変化もないんだと思って、あえてそこに向かっていこうと
ジェーン・スー「アクロバティックな感情操作をしなくてもよくなったんですね。それが『BADモード』というタイトルに帰着したのでしょうか。いつもグッドバイブス、グッドモードでなくてもいいんだと。」
以上、「宇多田ヒカルの思考を辿るインタビュー」より簡約
私が描かせてもらったシーンは、この『BADモード』時のものでした。
ヒコちゃんが徹子さんから「芸能界はみんな親切にして下さって勘違いするから、勘違いしておかしくなる前に(海外に)行っちゃったほうがいい」と言われた事を話していて
以前触れたラジオ収録後なのか、光浦さん達と飲みに行ったとも話していたから、ニューヨークに行っている事は聞いていたけれど、色々ありそうで
光浦さんもカナダに移り住んだ事で〈生活も人生観も劇的に変わった〉と。
勘違いするような立場じゃなくても、海外でなくとも、視点が変わり、視野が広がるような何かを試みる事は大切なんだろうと、つくづく思います。
そして「大局に立つ」「俯瞰する」と繰り返し綴ってきた私も、その重要性を改めて胸に刻みました。
宇多田さんに新たな何かが生まれそうな、こうした取り組みもあって。
「Electricity」は量子もつれという現象がテーマで、人と人の間の目に見えない結びつきを歌にした、と語る私の姿が番組制作陣の目にとまったらしいのです。ナレーション初挑戦でしたが、現場の皆様のおかげで和やかに、学者たちのインタビューに感動して時折泣きそうになりながら、最後まで楽しく収録できました。
そこで全てに通ずると感じたのは、この研究でノーベル賞を受賞した実験物理学者のジョン・F・クラウザー博士の言葉「大事なのは自分に正直になる事。そして最も難しい事の一つは もし理解できないならそれを認める事。」
学問というものが、行き詰まっているこの時代の突破口を開いてくれる事を、私も切望してやみません。
かつて宇宙物理学者の村山斉氏は「難しいんですけれども」と前置きしつつ、戦争の終わらせ方を「数式で表すことはできると思います」と答えていました。
ここで戦争をやめると、自分が得になるという瞬間が来ると、戦争をやめるんですよね。ですから戦争みたいな難しい問題でも、一つ一つの部分を調べていくと、どこでどうやって戦争をやめる瞬間が来るかというのは、ちゃんと決まってくると思います。でも難しいのは、そこにいろんな要素が入ってくるので、それをきちんと数え上げるのが難しいですから、なかなか簡単には答えは出ないですけれども、原理的には、戦争の終わりもちゃんと調べていくことができると私は思っています。
ページ番号39より
宇多田さんについて”絶対的な歌姫”としてのところから書き始めたけれど、私は歌の何を知るわけでもなく、触れる事はできません。
でも綴っている間彼女の曲が絶えず脳内を巡っていて、その影響力というものの凄さを再確認したし、これからも私はその生き方を追って行くんだと思います。